(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
1986~90年のバルコ政権は、ゲリラに対し武力で制圧する方針を採った。
しかしこの時期は、麻薬マフィアとの『麻薬戦争』が起きて、そっちの対応に追われた。
バルコ政権のゲリラ対策の唯一の成果は、1990年の「M-19の武装解除と合法政党化」くらいである。
1990~94年のガビリア政権は、ゲリラとの和平を目指し、91年に「EPL」と和平協定を結んだ。
ガビリア政権が最も力を注いだのは、紛争の根本原因である『政治システムの改革』だった。
当時の憲法は、1886年制定のものが存続していた。
ガビリアは100年ぶりに、憲法を一新しようとした。
91年に制定された『新憲法』は、「政党結成の条件緩和」「大統領の再選禁止」「憲法裁判所の新設」など、民主化を目指したものである。
特に注目なのは、「政党結成の条件緩和」で、2大政党制を変えようとする意図が明白だった。
この後、2大政党制から「多党制」へとゆるやかに変容していった。
2大政党の占有率は、1994年には80%以上だったが、2002年には両院で過半数を割った。
1994~98年のサンペール大統領は、就任当初から「カリ・カルテル(麻薬組織)から選挙資金をもらっていた」という疑惑がつきまとった。
サンペールは、疑惑を払拭するために麻薬マフィアを厳しく取り締まったが、目ぼしい成果を出せずに終わった。
(2013.11.27.作成)