(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
2002年の大統領選挙では、大方の予想を覆して、独立系のアルバロ・ウリベが当選した。
他の候補がゲリラとの対話を掲げた中、ウリベのみがゲリラとの対決を掲げた。
紛争にうんざりしていた国民は、これを支持した。
ウリベは、裕福な家に生まれ、米国ハーバード大に留学した、典型的なエリート層の出身である。
彼のゲリラへの強硬姿勢は、父親がFARCに誘拐されて殺された事実に由来するという。
ウリベは、軍と警察を増強し、ゲリラへの軍事的な対抗を鮮明にして、治安予算を大幅に増額した。
一方で、パラミリターレスに対しては、交渉によって解体する政策を採った。
2002年末からAUCとの和平を進め、03年6月に協定を結んだ。
05年には「公正・平和法」を公布して、寛大な恩赦を前提として、武装放棄と組織解体をした。
(パラミリターレスとAUCについては、こちらを見て下さい)
これらの政策は成果を挙げ、04年までの4年間で、殺人・誘拐・テロは半分に減った。
パラミリターレスの兵士は、3万人が投降したとされる。
この実績が国民に評価され、ウリベの支持率は毎年70%以上となった。
ウリベは、「大統領の再選禁止の撤廃」「政党設立の条件を厳しくする事による、少数政党への回帰」を目指し、法改正で実現させた。
そして2006年5月にウリベは、圧倒的な強さで再選された。
ウリベは、1990年代にコロンビアに導入された「新自由主義の経済政策」を引き続き行い、「緊縮財政」「民営化の推進」を行った。
これにより、高い成長率となり、国民1人あたりのGDPは02年の2247ドルから、09年の5087ドルと倍増した。
海外からの直接投資は、02年の20億ドルから09年には100億ドルとなり、インフレ率も7%→2%に減った。
対ゲリラでは、08年3月に隣国エクアドルにあるFARCの野営地をコロンビア軍が急襲して、最高幹部を殺害した。
FARCの衰退は明らかになっている。
パラミリターレスのAUCは、ほぼ解体に追い込み、指導者のマンクソは麻薬犯罪人としてアメリカに引き渡した。
ウリベは三選を狙って、再び憲法を変える事を目論んだが、今度は否決された。
2010年5月の大統領選では、ウリベの後継者とされるサントス前国防相が圧勝した。
サントスはウリベの腹心で、コロンビア最大の新聞の社主一族でもある。
(2013.12.8.作成)