(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)
シリアが1976年にレバノン内戦に介入すると、シリア国内ではテロが増えた。
犠牲者には、アサド大統領と親しい者もおり、アラウィ派ばかりだった。
テロの犯人はムスリム同胞団で、彼らは政治活動を禁じられていたが、バース党政権の進める世俗化に反発していた。
バース党政権は、宗教学校の閉鎖、義務教育での宗教教育の禁止、宗教指導者の逮捕、を行っていた。
1979年6月16日に、アレッポ砲兵学校で当直士官らがテロを起こし、63人が亡くなった。
この事件は、軍の内部にさえ反体制派がいるのを明らかにし、アサド政権に衝撃を与えた。
アサドはムスリム同胞団を攻める事にし、同胞団の本拠地のハマを1982年2月2日に包囲し、侵攻した。
ハマは人口20万の都市で、「シリアで最も美しい街」と言われてきた。
400人の同胞団の軍は、2000人の市民と合流し、政府要人を約100人殺して、旧市街の大部分にバリケードを築いた。
10日間で政府軍はハマを制圧したが、無抵抗の市民まで射殺され、建物は工兵隊によって爆破された。
5000~1万人の死者が出て、6~7万人が難民となり、市街の3分の1が破壊された。
「市街で最も美しい」といわれたグレート・モスクも、破壊されて礎石のみとなった。
1983年のアムネスティ・インターナショナルの報告は、こう述べている。
「シリア治安部隊は、数千人を逮捕し、拷問と殺害をしている。
1980年6月27日には、ムスリム同胞団に属しているとの
疑いで、パルミラ刑務所に収容されていた600~1000人が
処刑された。」
(2016年10月25日に作成)