(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)
数々のクーデターを経た結果、シリアの国政の中心には軍事委員会のジャディードが就いた。
彼は1926年生まれで、軍事委員会のメンバーでは珍しく中産階級の出身であった。
彼は1965年8月にバース党の副書記長に転身しており、文民派の総帥になった。
書記長と大統領は兼任であり、アタシ大統領は名目的な存在だから、実権はジャディードが握っていた。
その一方、アサドは空軍司令官と国防相を兼務して、軍を掌握するようになった。
1967年6月の第3次中東戦争において、シリアは惨敗した。
その後、ジャディードは「社会主義改革と孤立主義」を主張し、アサドら軍部は「対イスラエルに備える軍拡と、アラブ諸国との団結」を主張した。
68年10月のバース党大会で、両者は真っ向から対立した。
アサドを支持したのは軍だけで、アサドは完全に孤立した。
アサドはこれ以降、党の会合に出るのを拒否し、軍での勢力拡大に努めた。
1970年9月に、ヨルダンで内戦が勃発した。
シリアはPLOを支援するために軍事介入したが、失敗した。
シリアは、ヨルダン軍と対決するとイスラエルとアメリカが介入してくると考え、本気で介入しなかった。
ジャディードはPLO支援を目指したが、アサドはこれに反対した。
ジャディードは「単独でのイスラエルとの闘争」を呼びかけたが、
アサドは「シリアだけでイスラエルと対決しない方がいい」と説いた。
70年11月11日のバース党大会で、アサドらは解任された。
翌12日に、アサドはクーデターを起こし、ジャディード、アタシ大統領、ズアイン首相らを一斉に逮捕した。
そして、アサドは権力を握った。
71年3月の国民投票で、アサドは大統領に選出された。
ジャディードとアタシは、その後ずっと刑務所に収監されたままだという。
(2016年2月6日に作成)