(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)
○ アラウィ派
大半は、シリア北部のラタキア周辺の山岳地に居住している。
彼らのほとんどは農民で、資産家や地主の支配にさらされた。
アラウィ派の人々は、何世紀にもわたって農奴に甘んじていたのである。
オスマン・トルコ帝国の時代には、アラウィ派は「邪悪な人種」と呼ばれ、過酷な税金を取り立てられて虐待された。
こうしてアラウィ派には、スンニ派などの権力者への不信と憎しみが蓄積されていった。
フランス統治時代になると、フランスはアラウィ派の自治権確立を支援し、アラウィ国を分離独立させた。
○ ドルーズ派
大半が、南部のハウラン台地の周辺に居住している。
ドルーズ社会は強い結束力を持ち、オスマン・トルコ時代から自治権を獲得していた。
フランスは、シリアを統治すると、ドルーズ派の自立性を支援して、シリア社会を分断させた。
(2015年2月11日に作成)