(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)
1934年冬に、アルゼンチンの沿岸警備隊は、イギリスの貨物船ノーマン・スター号を抑留した。
これは、外国の食肉業者カルテルに対する捜査の一環であった。
当時のアルゼンチンは、牧場は一部の地主に握られており、現地の労働者にはわずかな賃金しか支払われていなかった。
アルゼンチン駐在のイギリス大使は、1929年に「アルゼンチンは、イギリス帝国の一部だ」と述べている。
沿岸警備隊は、船倉で「コンビーフ」と表示された木箱の中から、書類を見つけた。
それは、世界最大の食肉小売り会社の創業者で、イギリスで最も富裕な一族のメンバーであり、史上最大規模の脱税を行っていた、『ウィリアムとエドモンドのヴェスティ兄弟』の財務記録だった。
ノーマン・スター号の書類では、ヴェスティ兄弟の脱税や、それにアルゼンチン政府高官が加担していた事が明らかになった。
ヴェスティ兄弟の不正を暴いたデ・ラ・トーレ上院議員は、暗殺未遂事件に巻き込まれた。
彼の側近は銃殺され、彼自身も1939年に拳銃自殺した。
ヴェスティ兄弟は、グローバル企業のパイオニアである。
1897年に、アメリカのシカゴで買い付けたくず肉を、イギリスのリバプールで販売し始めた。
そして、ロシア・中国・ヨーロッパに進出していった。
1913年からは、アルゼンチンの牧場や食肉加工工場に投資先を広げた。
彼らの会社は、「垂直統合型の多国籍企業」の草分けだった。
彼らが重視したのは、「自社がしようとしている事を明かさないこと」「自社でできる事は外注しないこと」だった。
彼らは、自分たちの会社に様々な名前を付けて、ヴェスティの会社だと分からないようにした。
そして競争相手を買収し、相手が抵抗した時には、相手よりも低い価格をつけて廃業に追い込んだ。
フィリップ・ナイトリーは自著の中で、こう述べている。
「ヴェスティ兄弟がアルゼンチンに与えた壊滅的な影響が、ペロンを政権に押し上げた戦闘的な労働団体の結成、その後の軍事独裁、フォークランド戦争、経済破綻につながっていった」
ヴェスティ兄弟の成功の秘訣は、『市場支配力を使って価格を操作して、生産者から搾り取り、消費者から搾り取り、すべての利益を真ん中に押し込むこと』だった。
ヴェスティ兄弟は、グローバルな租税回避産業でもパイオニアになった。
脱税方法はこうである。
まず、自分たちの海外事業のほとんどを、イギリスにあるユニオン・コールド・ストレージ社にリースした。
リース料は、ヴェスティ兄弟の信頼する3人(管財人)に支払われる。
そして3人は、ヴェスティ兄弟の指示に従って、ヴェスティが支配する企業に多額の融資をした。
ヴェスティ兄弟は、タバコも酒もたしなまず、ギャンブルもせず、慎ましい生活をしていた。
ウィリアム・ヴェスティは、「私は、コイン一枚まですべて貯蓄する」と語った事がある。
ヴェスティ一族は大富豪となったが、イギリスの支配階級に入り込むのは容易ではなかった。
イギリスのエリート層は、3つに区分できる。
①何百年も続く地主階級
②17世紀以降に力を持った、金融業者
③製造業者
基本的には、①と②が組んでジェントルマン資本家階級を作り、イギリス経済を動かしてきた。
この階級は、③を見下している。
ヴェスティ兄弟は、③の出身だったので、支配階級に入るのに苦労したのだ。
イギリスは、第一次世界大戦の前までは、イギリスに本社を置く企業に対して、企業が海外であげた利益については、本国に送還されなければ課税しなかった。
それが1914年に、海外であげた利益に対しても、課税するようになった。
第一次世界大戦が始まると、イギリスは戦費調達のために所得税を上げ、標準税率は6%→30%まで上昇した。
ヴェスティ兄弟は、税金を払いたくないために、戦争中の1915年11月に海外に移住した。
ヴェスティ兄弟は、1922年6月に、イギリス貴族の地位を買った。
彼らのような不当な利得を得ていた者たちは、不名誉を隠すために爵位を欲した。
ロイド・ジョージ首相は、爵位を手当たりしだいに売り渡していた。
ヴェスティ卿は、「私は、法律的には海外にいる。現在の状態(税金を払わない状態)を気に入っている」と語った。
こうした事は、現在でも続いている。
保守党・副議長のアシュクロフト卿は、2010年3月に「自分がノン・ドミサイル(非永住)納税者であり、イギリスの税金を免除されるカテゴリーである」と認め、スキャンダルとなった。
ヴェスティ家は、脱税をし続けた。
1980年にサンデー・タイムズ紙は、「ヴェスティ家が所有するイギリス食肉小売りチェーンのデューハーストは、1978年に230万ポンドの利益に対して、10ポンドの税金しか払わなかった」と明らかにした。
1993年に、国民の強い抗議を受けて、イギリス女王がついに所得税を払い始めた時、ヴェスティ卿は「これで私が最後の1人になった」と言った。
だが、これは事実ではなく、脱税者はまだたくさん居る。
(2014.3.10.)