ケインズB
資本の移動が規制されると、資本主義の黄金時代となった

(タックスヘイブンの闇から抜粋)

現在の主流の経済学では、「外国からの投資は、貧しい国々を救う」としています。

しかし、市場を自由化した場合、マネーは逆に流出する事もあります。

ケインズはこの問題を認識し、「資本逃避(マネー流出)を防げれば、適切な国内政策を実施できる」と述べています。

厳しい資本の移動規制があった第二次大戦後〜1960年代にも、抜け道はありました。

多国籍企業には、貿易や日常業務の費用については、大きな自由が与えられていたからです。

ケインズとハリー・デクスター・ホワイトは、これへの対処策も提案しています。

ブレトンウッズ協定の初期の草稿では、「逃避資本を受け入れた国は、逃避の被害国と情報共有をしなければならない」と定めていました。

彼らは、国際金融に透明性を持ち込もうとしたのです。

アメリカの銀行たちは、これに反対します。

アメリカの銀行は、1930年代にヨーロッパからの逃避資本で巨利を得ていました。
そのため、透明化で資本が去るのを恐れたのです。

そして、草稿を「情報共有をしなければならない」から「してもよい」に変えました。

ヨーロッパ人がアメリカに送った金は、43億ドルに上りました。

1947年にヨーロッパで経済危機が起きたため、48年に『マーシャル・プラン』が行われます。

エリック・ヘライナーは、「マーシャル・プランは、ヨーロッパからのマネー流入を規制できなかったアメリカが、失敗を埋め合わせたもの」と指摘します。

マイケル・ホフマンは1953年に、「アメリカの戦後の海外援助は、アメリカに入ってくる資金額よりも少ない」と指摘しています。

1949年頃からの四半世紀は、ケインズの理論が広く実行された時期で、
今日では「資本主義の黄金時代」として知られています。

広い地域で高成長が続き、かなり安定した繁栄の時代でした。

1950年代にブレトンウッズ体制がうまく機能し始めると、アメリカ経済は好調となります。

ウォール街は膨大な規制に縛られ、政治家たちは銀行をきちんと管理し、為替レートは固定されていました。
銀行は外貨を扱っていなかった。

当時は、「グローバルな金融取引を野放しにしたら、国益を損なうことに繋がる」との
ケインズ理論が、絶大な力を持っていました。

政府は、金融資本の流入・流出を、厳しく管理していた。

1970年代の途中からは、資本規制が緩み、各国の税率は下がり、成長率が低下します。

そして各国の格差が拡大し始めました。

アメリカでは、非管理職の賃金は、インフレ率を考えると1970年よりも低い。

その一方で、アメリカのCEO(会社のトップ)の報酬は、平均賃金の30倍→300倍へと跳ね上がっています。

1940〜71年には、途上国では金融危機は1度もなく、通貨危機は16回でした。

それが1973〜98年には、金融危機は17回、通貨危機は57回も発生しています。

カルメン・ラインハートとケネス・ロゴフは、2009年の研究発表で、
「金融の自由化と金融危機は、切り離せない関係にある」と結論しています。

(2014.3.11.)


世界情勢の勉強 脱税(タックスヘイブン他) 目次に戻る