(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)
1970年代には、ドルの価値が急落した。
1979年8月にカーター大統領は、金融引き締め論者として名高いポール・ヴォルカーを、FRB議長に任命した。
カーターは政府支出を削減し、ヴォルカーは金融引き締めを実施した。
FRBはマネーサプライ(通貨供給量)をコントロールしようとしたが、規制のないユーロダラー市場が邪魔をした。
ヴォルカーは、オフショア・システムを取り締まらせるために、BIS(国際決済銀行)を通じた新しい枠組みを築こうとした。
だが、ニューヨーク銀行、イングランド銀行、スイス銀行などが、その構想を頓挫させた。
チェース・マンハッタンに主導されたニューヨークの銀行グループは、「オフショア市場を取り締まるよりも、そこに仲間入りしよう」と主張した。
1981年にレーガン大統領は、新しいオフショアの形態を承認した。
それが、『IBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティ)』である。
IBFは、オフショア・ユーロ市場(ユーロ・ダラー市場)の簡易バージョンだ。
アメリカの銀行に、『準備金規定にも市税・州税にも縛られずに、外国人に融資すること』を国内で行えるようにした。
これによりアメリカの銀行は、新しい帳簿を作って、海外の支店にいるかのように業務を行える事になった。
3年間で、500近いIBFが誕生し、資金を外国に流出させた。
作家のトム・ネイラー
「アメリカはIBFを、アメリカの銀行が他国の金融市場に参入する際の、『制約を緩めさせるための武器として使いたい』と思っていた。」
日本は1986年に、IBFをモデルに自前のオフショア市場を作って、アメリカの後を追った。
(2014.8.23.)