アメリカにおけるプロパガンダの実例①
第一次世界大戦時のドイツに対するもの

(『チョムスキー世界を語る』『すばらしきアメリカ帝国』から抜粋)

チョムスキー

第1次世界大戦中に、イギリスとアメリカは、プロパガンダを担当する大掛かりな機関を創設しました。

つまり、「英国情報省」と「ウッドロー・ウィルソンの広報委員会(クリール委員会)」です。

イギリスのプロパガンダは、主としてアメリカの知識人向けで、アメリカを参戦させるためのものでした。

プロパガンダ作戦は、数ヶ月の間にアメリカ国民を、錯乱した反ドイツ主義者へと変貌させました。

アメリカ人はヒステリーになり、ボストン交響楽団がバッハを演奏できなくなったほどです。

この2つの機関は、元来はハト派で参戦に反対していたアメリカ人を、反ドイツにする事に成功したのです。

(そしてアメリカは第1次大戦に参戦する)

ジョージ・デューイ(アメリカの哲学者)らは、戦争への熱情が知識人によって生み出された事を、誇りに思っていました。

「勝利なき平和」をスローガンに1916年の大統領選挙を制したウッドロー・ウィルソンは、数ヶ月のうちにアメリカを好戦的な国へと変貌させました。

彼のプロパガンダ機関(クリール委員会)にいたエドワード・バーネイズとウォルター・リップマンは、著作の中で第一次大戦時の体験を明かしています。

「このプロパガンダを通して、大衆の意識をコントロールできる事や、人の態度・意見を制御できる事を学んだ」と、彼らは言っています。

リップマンは「合意を捏造できる」と書いたし、バーネイズは「知識層が合意形成の工作で大衆を導くのは、民主主義のプロセスの核心だ」と書いています。

これは実業界にとっても瞠目する出来事で、広告産業の誕生につながりました。

ドイツのヒトラーやロシアのボルシェビキは、英米のプロパガンダの成果に注目し、学ぼうとしたのです。

ヒトラーの『わが闘争』を読めば、彼が「アメリカへのイギリスのプロパガンダ」に感銘を受けていた事が分かります。

「第一次大戦の勝因は、プロパガンダにあった」という彼の主張は、合理性を欠いていないでしょう。

「次はドイツも準備を整えておく」と、彼は誓いました。

アメリカの学者ハロルド・ラスウェルは、1930年代にこう主張しました。

「判断を下す能力を備えているのは、一般人ではなくエリートである。
一般人は、愚かで無知だ。

我々エリートは、彼らの利益のためにも、彼らを無力化して支配すべきだ。

それには、プロパガンダが最適な手段だ。

プロパガンダは、善にも悪にも適用できる。

高貴な我々は、それを良い目的に活用する。」

ラスウェルは、進歩主義リベラル派の知識人でした。

ほぼ同様の思想が、レーニン主義にも見られます。

今日では、プロパガンダで力を発揮しているのは、政府ではなく大企業です。

レーガン政権(1980年代)になる頃には、人々は政府のプロパガンダを受け入れなくなっており、レーガンの広報外交事務局に違法宣言が下されました。

そのため、民間の独裁体制である大企業たちが、プロパガンダを請け負うようになりました。

大企業たちは、政府の命令に従っているわけではありませんが、政府と緊密に連携しています。

(2014.7.4.)


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