(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
ベネズエラでは、1922年12月14日に、マラカイボ付近の地面から石油が大量に噴出した。
その後3日間、日に10万バレルもの原油が噴き出た。
そして1930年までに、世界最大の石油輸出国となった。
石油収益により、ベネズエラは豊かな国へと変貌した。
1973年にオイルショックで価格が跳ね上がると、国家予算は一気に4倍になった。
これを見て、エコノミック・ヒットマン(EHM)が活動を始めた。
国際銀行は貸付を殺到させて、インフラ整備や大規模建築が行われた。
その後、原油価格が落ちると、ベネズエラは債務の返済ができなくなった。
1989年にIMFは引き締めを強行し、圧力をかけた。
暴動が発生し、200人が死亡した。
1978年~2003年の間に、ベネズエラ国民の1人あたりの収入は、40%以上も下がった。
国民は二極化し、貧困層が激増した。
1998年にウーゴ・チャベスが大統領になると、「反グローバル化」を力強く口にして、外国の石油会社に課す税を2倍にした。
そして国有石油会社の経営陣を替えて、伝統的な独立性を改めた。
2002年12月には、ベネズエラで大規模なストライキが起きた。
チャベス支持派と不支持派は、衝突をくり返した。
アメリカの秘密工作を指揮してきた私の友人は、こう証言した。
「カラカスでストライキを扇動して、軍隊の士官たち(その多くは米州学校の出身)に賄賂を渡し、大統領に反旗を翻させてほしいと、依頼された。
私は断ったが、引き受けた者は役目を果たすだろう。」
ベネズエラでクーデターは発生したが、チャベスは72時間足らずで権力の座を奪還した。
(2015年7月8日に作成)