(『そうだったのか!現代史2』から抜粋)
北朝鮮は、1992年に原子力施設への査察を受け入れた。
その結果、「プルトニウムを取り出している可能性がある」と判明した。
原子炉のそばには、プルトニウムを加工する工場らしき建物があり、IAEAはこれの査察を求めた。
すると北朝鮮は、「NPTから脱退する」と言い出した。
これに対して、アメリカが猛反発した。
アメリカのクリントン大統領は、「NPTから脱退するな」と圧力をかけ、さらに北朝鮮に攻め込む計画をスタートさせた。
「作戦計画50-27」である。
北朝鮮側も、1994年3月に韓国に対して、「もし戦争が始まれば、ソウルは火の海になるだろう」と発言した。
アメリカ軍は朝鮮半島での兵力増強を始めて、北朝鮮も戦争の準備を整えた。
94年5月18日にアメリカ国防総省は、朝鮮で戦争が起きた場合の被害予測を報告した。
そこでは、「最初の90日間で、アメリカ兵の死傷者は5.2万人、韓国軍の死傷者は49万人に上る。アメリカの財政支出は、610億ドルを超える。」と報告された。
この想定に驚いたクリントンは、限定的な空爆に作戦を変更し、北朝鮮に対して「核開発を凍結しないなら、核施設を空爆する」と通告した。
こうした事実は、クリントンが2002年12月に認めた。
この米朝の緊張を危惧したカーター元大統領は、94年6月に訪朝をし、金日成との会談で『米朝の枠組み合意』をまとめた。
この合意により、第2次・朝鮮戦争は、寸前で食い止められた。
(2014.3.6.)