江沢民以後の、共産党の理念の変更史

(『中国の歴史を知るための60章』から抜粋)

江沢民は、1997年の党大会で、それまでの「共産党革命史」を「中国振興史」に置き換えた。

毛沢東よりも孫文を中国の祖として敬い、マルクス主義よりも中国の歴史に重点を置いたのである。

2002年の党大会では、『共産党規約』が改定されて、「共産党は労働者階級の代表である」という文面に、「共産党は中国人と中国民族の代表である」という言葉が付け加えられた。

江沢民は、「中国共産党は、中華民族の復興という使命を担っている」と宣言し、階級闘争を行ったかつての共産党を切り捨てた。

江沢民政権は、『政治文明の建設』を標榜した。

これは、「科挙(受験戦争)」を勝ち抜いた知識人たちを「文明人」と規定して、文明人による政治を目指すものである。

彼らは、「無学な民たちが政治を行うのは、野蛮な政治である」と考えた。

この動きは、かつての中華文明・中華政治を再建しようとするものである。

胡錦濤の時代になると、「政治文明」の中に『和諧社会』が加わった。

『和諧社会』とは、調和のとれた社会を目指す事を意味する。

実現の具体策としては、「科学的な発展観」を打ち出した。

これは、合理的な考え方を重視するものである。


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