(『誰にでもわかる中東』小山茂樹著から)
ドルーズ派は、イスマーイール派の分派と見なされており、ファーティマ朝のカリフだったハーキムを、「隠れイマーム(救世主)」とする。
1日5回の礼拝をせず、ラマダーンもメッカ巡礼もしない。
さらに、魂の転生を認める。
正統派のイスラム教とは、教義がはなはだしく異なる。
今日では、南部レバノン、西南部シリアに住んでいる。
(『シリア・レバノンを知るための64章』から)
アラブ世界のシャームと呼ばれていた地域(歴史的シリアと呼ばれる地域で、現在のシリア・レバノン・イスラエル・パレスチナ・ヨルダンを含むエリア)は、古代から東西交易の要衝であり、多様な人々が暮らしてきた。
ドルーズ派の人々は、10世紀以降にこの地域で暮らしてきた。
彼らが異端視されながらも暮らしてこられたのは、異なる人々が共生する環境があったからである。
ドルーズという宗派名は、宗派成立の初期に活躍した宣教士ダラズィーに由来しているという。
彼ら自身は、ムワッヒドゥーン(唯一神の信徒)と自らを呼ぶ。
ドルーズ派は、イスマーイール派が創ったファーティマ朝(エジプトの王朝)の第6代カリフ、ハーキム(在位996~1021年)の時代に、ハーキムを神格化してイスマーイール派から分派して誕生した。
創始者はイラン出身のハムザ・イブン・アリーで、彼はハーキムを神とし、自らをイマームとして教団を作った。
1021年にハーキムが死去(ドルーズ派の教義では失踪)すると、その後を継いだ息子ザーヒルにより弾圧され、エジプトからシャーム地方へ移住した。
そして、しばらくして突然に外界との接触を止め(通説では1042年)、閉鎖的なコミュニティを築いていった。
ドルーズ派の組織は、3つの階層から成っている。
最も高位にあるのは「シェイフ・アクル」と呼ばれる人達で、指導的地位にあり、特定の家族から代々選ばれている。
次は「ウッカール(単数ではアキール)」で、教義に精通している人達を指す。
彼らは、ドルーズ派の教典『アル・ヒクマ・アッ・シャリーファ』を所持し、礼拝所で礼拝する。
最後は「ジュッハール(単数ではジャーヒル)」で、一般信徒がこれに当たる。
彼らは、教典の所持も礼拝所での礼拝も許されない。
シェイフ・アクルは男性のみで、ウッカールは女性も多い。
ウッカールの全信徒に占める割合は、50~150人に1人である。
礼拝所は、村落ごとにある。
宗教施設には、マザール(マカーム)と呼ばれる聖者廟もある。
ここへの参詣は、礼拝所に出入りできないジュッハールにとって重要な事になっている。
聖者廟では、ドルーズ派の指導者たちの他に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の預言者たちも祀られている。
ドルーズ派の教義は、母体となったイスマーイール派の影響が濃い。
(※イスマーイール派とは救世主とする人物が異なる)
終末論はイスマーイール派と酷似しており、次のものである。
「この世の終末には、我らが主ハキームがマフディー(救世主)
としてこの世に再臨し、他の一切の宗教・宗派を滅ぼす。
そして全ての者の運命が、最後の審判で決定する。」
ドルーズ派の人々は、最後の審判の日の到来を待ちながら暮らしている。
ドルーズ派は、輪廻転生を信じている。
コーランには輪廻の記述はなく、スンナ派やシーア派の十二イマーム派は、これを認めない。
イスラム教では、輪廻転生を信じているのはドルーズ派やアラウィー派など一部である。
ドルーズ派は「人間は人間へのみ転生する」とするが、アラウィー派は「生前の行い次第で動植物や鉱物へも転生する」とする。
17世紀の終わりに、レバノンのドルーズ派は、カイス族とヤマニ族に分かれて争いを起こした。
敗れた人々は、シリア南部のジャバル・ハウラーン(ハウラーン山地)に移住して、コミュニティを形成した。
19世紀に入ると、レバノンではドルーズ派とキリスト教マロン派の争いが激化した。
この争いにヨーロッパ列強とオスマン帝国が介入してきて、住処を追われたドルーズ派の民はハウラーン山地に移住した。
これ以後も避難民がジャバル・ハウラーンに流入し続けて、いつしか「ジャバル・ドルーズ」と呼ばれるようになった。
オスマン帝国が第1次世界大戦で敗れると、シャーム地方はフランスとイギリスの支配下になった。
フランスの支配地域はシリアとレバノンに分割され、イギリスの支配地域はパレスチナとヨルダンに分割された。
この分割により、ドルーズ派のコミュニティは、レバノン・シリア・パレスチナに分断される事を余儀なくされた。
フランス統治下のシリアでは、1925年にドルーズ住民が対フランスの闘争を起こし、これがシリア全土に拡がって「シリア大革命」へと発展した。
(この辺りについては、詳しくはシリア史のページをご覧ください)
他方レバノンのドルーズ派では、土地を所有する領主の権力が絶大で、ジュンブラート家とアルスラーン家が特に力を持った。
両家の当主は、レバノン政界で中核を担っている。
ドルーズ派の人口は、正確な数を把握できていない。
シリアでは宗派ごとの人口統計は公表されておらず、レバノンでは人口統計そのものを行っていない。
研究者によると、シリアには50~70万人、レバノンには40~50万人、イスラエルには7~10万人、ヨルダンには2~3万人がいるという。