ムハンマドの生涯② ムハンマド、メッカに生まれる
コライシュ族 ハーシム氏族

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

571年に、ムハンマドはメッカに生まれた。

当時のメッカは、偶像崇拝をする多神教徒の「コライシュ族」が支配していた。

ムハンマドは、コライシュ族の一員だった。

コライシュ族は、メッカのカーバ神殿の鍵を預かる管理者であり、メッカの隊商交易を支配していた。

イスラム学者のモンゴメリー・ワットによれば、当時の一部のコライシュ族は「漠然たる一神教」を信仰していたという。
アッラーフ(アッラー)という神は、ムハンマド以前にも知られていた。

ムハンマドは、単なる宗教改革ではなく、メッカの人々の生活態度を改革しようとしていたと解釈できる。

(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)

ムハンマドから数えて11代前の祖先は、クライシュという人物であった。

このクライシュから氏族が分かれていき、子供たちは『クライシュ族』と呼ばれるようになった。

クライシュ族はアラビア世界の名門となり、5世紀にはクライシュ族のクサイイがメッカの支配者となり、メッカのカーバ神殿を再建したという。

クライシュ族はカーバ神殿の管理者となり、隊商を率いる大商人にもなっていった。

クサイイの孫ハーシムから、『ハーシム氏族』が分かれた。

ハーシムの子であるアブドル・ムッタリブは、クライシュ族の中でも崇められた人物で、メッカを59年間に渡って支配した。

アブドル・ムッタリブには3人の男子がおり、そのうちの1人アブドゥラーがムハンマドの父親である。

アブドル・ムッタリブの男子の残り2人は、アル・アッバースとアブー・ターリブである。

アル・アッバースは、後のアッバース朝の創始者の祖先にあたる人物である。

アブー・ターリブは、第4代カリフとなるアリーの父親である。

アブドゥラーは、ヤスリブ(後のメディーナ)のアーミナという女性と結婚し、ムハンマドをもうけた。

しかし、アブドゥラーはムハンマドが生まれる前に他界し、アーミナもムハンマドが6歳の頃に他界した。

ムハンマドは孤児となり、祖父のアブドル・ムッタリブに引き取られた。
その祖父も、ムハンマドが8歳の時に他界した。

その後は、叔父のアブー・ターリブに引き取られ、叔父が商人だったために商人になるように育てられていった。

(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)

ムハンマドが生まれ育ったメッカは、イエメンやシリアと交易をする、商人の町だった。

コーランを紐解けば、横溢しているのは「商人の倫理」であり、遊牧民の倫理ではない。

イスラム教の最後の審判では、すべての人は生前の善行と悪行が商品を計るように秤にかけられ、天秤がどちらに傾くかで天国行きか地獄行きかが決められる。

イスラム教は商人たちの宗教であり、そのために商人の地位は高くて、遊牧や農業よりも尊ぶべき職業と見なされる。

(この点で、仏教やキリスト教などとは著しく異なる)

メッカは小さなオアシスであり、周囲を岩山に囲まれ、農耕には不向きだった。

クライシュ族がこの町に住み着いたのは、5世紀末だった。

ムハンマドの5代前のクサイイは、一族を率いてメッカを征服し、カーバ神殿の守護権を手にした。

クライシュ族は、マフズーム家、アブド・シャムス家(後のウマイヤ家)、ハーシム家、アサド家などに分かれていき、ムハンマドはハーシム家に生まれた。

ムハンマドが生まれた頃には、クライシュ族は冬には南のイエメンへ、夏は北のシリアへ、隊商を派遣していた。

すでにこの時期に、カーバ神殿にはアラビア半島の各地から巡礼者が集まってきていた。

巡礼者の目当ては、メノウ石の偶像フバルだった。

ムハンマドは570年頃に生まれた。

誕生の時にすでに父はなく、ハーシム家の長であった祖父のアブド・アル・ムッタリブの保護の下で、母アミーナの手ひとつで育てられた。

ムハンマドに兄弟はなく、母と2人で暮らした。

母は6歳になった頃に亡くなり、2年後にはムッタリブも亡くなった。

その後は、ハーシム家の家長を継いだ叔父のアブー・ターリブに引き取られた。

彼の少年時代について、これ以外の事実はほとんど知られていない

伝承学者イブン・サード(845年没)は、成人後のムハンマドを次のように伝えている。

「肌は赤みがかった白で、目は黒く、頭髪は長く柔らかであった。

 口ひげとあごひげは共に濃く、薄い毛が胸から腹まであった。

 肩幅は広く、足取りはしっかりしていて、歩き方はまるで
 坂道を下るようであった。

 背丈は、低くもなく高くもなかった。

 いつも丈の短い木綿の服を身につけ、バターとチーズは好き
 であったが、トカゲは食べなかった。

 よく悲しげな顔をすることがあったが、思索にふける時は
 いつまでも黙っていた。

 人に対して誠実であり、進んで人助けを行い、常に優しい
 言葉をかけるのを忘れなかった。」

この伝承は、ムハンマドが亡くなって200年後にまとめられたものだが、なかなか興味深い。


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