アッバース朝は非アラビア人も重用する
奴隷軍団(マムルーク軍団)が力を伸ばす

(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)

アッバース朝は、多民族をまとめるためにイスラム教を中心にすえ、非アラビア人にも重要な地位を与えた。

非アラビア人でも、ウラマー(宗教指導者)やカーディ(裁判官)に任命されるようになり、非アラビア人が差別されない体制となったのである。

このため、『イスラム帝国』と呼ばれている。

第7代カリフのマームーンは、コーランやスンナにとらわれず、自らの理性を信頼することを主張し、こうした解釈を行う「ムータズィラ教義」を重用した。

この考え方に、学者のアフマド・イブン・ハンバルは強く抵抗した。
ハンバルは、現代のイスラム原理主義の始祖と見なされている。

第8代カリフのムータシム(在位833~842年)の時代に、奴隷をして売られてきた勇敢なトルコ人を軍人として育てた軍団(マムルーク軍団)が、力を伸ばします。

(マムルークは、奴隷を意味する言葉)

マムルーク軍団はカリフを操る存在に成長し、ムータシムは836年にマムルーク軍団を率いてイラク北部のサーマッラーに首都を移して移住した。

その後、第15代カリフのムータミド(在位870~892年)は、首都をバグダッドに戻した。

(2013年5月15日に作成)


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