ムハンマドの死後、後継者をめぐって権力闘争が起きる

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

ムハンマドは生存中、「預言者」「立法者」「最高裁判官」「最高軍司令官」「政治指導者」であった。

彼は生前に、次の指導者を指名しなかった。
彼には、男子がいなかった。

アラビアでは、指導者は世襲制よりも、部族長老による選挙制で選んでいた。

ムハンマドの死後、後継をめぐって権力闘争が起き、4つの派閥が競い合った。

① ムハンマドと同じコライシュ族に属し、彼と共にメディーナ
  に移住した経歴を持つグループ

② メディーナでムハンマドを支援したグループ

③ ムハンマドの娘ファーティマの婿、アリーを支持するグループ

④ コライシュ族の貴族であるウマイヤ家のグループ

まず勝利を収めたのは、①のグループである。
初代カリフのアブー・バクルと、第2代カリフのウマルは、ここから選出された。

第3代は④から出たオスマーンで、第4代は③のアリーとなった。

在位年は次の通り。

アブー・バクル  632~634年

ウマル  634~644年

オスマーン  644~656年

アリー  656~661年

これら4代のカリフは、(スンニ派では)「正統カリフ」と呼ばれている。

ウマルは、集会の最中に、キリスト教徒の奴隷の毒剣で暗殺された。

オスマーンは、ウマイヤ家の一族で重要ポストを独占したので、アブー・バクルの子のムハンマドらに暗殺された。

アリーは、ハワーリジュ派に暗殺された。

正統カリフのうち3人が、暗殺されている。


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