(『アポロ月面着陸映像は本物か?』ユーチューブ動画から抜粋)
フランスで、『月 着陸作戦』(監督ウィリアム・カレル)という番組が放送された。
ここでは、アメリカ高官が「アポロ計画はでっち上げだった」と暴露し、しかもスタンリー・キューブリック(映画監督)もそれに加担していたという。
あまりにショッキングな内容のため、アメリカでは放送が見送られている。
(以下は、『月 着陸作戦』の抜粋です)
ヤン・ハーレン(キューブリックの義理の弟)
「スタンリーは、1975年制作の作品『バリー・リンドン』では18世紀の様子を再現するのにこだわった。
スタンリーは、ロウソクの灯りで撮影できるレンズを探していた。
(バリー・リンドンでは、ロウソクの灯りで暮らした当時の様子を描いている)
そして、ようやく特殊なレンズについて書かれた科学雑誌にたどり着き、NASAがレンズを持っていると知った。
するとスタンリーは、「自分がNASAと話をするから任せておけ」と言ったんだ。
そして上手くいった。」
映画批評家たちは、バリー・リンドンについて1つの疑問を持ち続けていた。
それはカメラが特殊なもので、軍事機密にされていたものだったからだ。
ファロウク・エルバス(NASAの技術者)
「アポロ計画は、月着陸のために計画されたものではなく、月から石を持ち帰るためのものでもなかった。」
ジェフリー・ホフマン(宇宙飛行士)
「アポロ計画の一番大きいきっかけは、キューバ危機です」
当時、ソ連はアメリカよりも早く宇宙に進出し、1961年4月12日にガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功していた。
宇宙に行くためのロケット技術は、高性能ミサイルにも使える。
「ソ連がキューバにミサイルを置く」というキューバ危機が起きると、アメリカはパニックに陥った。
ファロウク・エルバス(NASAの技術者)
「アメリカは、ソ連の強力なロケットに完全に怯えました」
ヴァーノン・ウォルタース将軍(ニクソン政権ではCIA副長官)
「全てがミサイル問題だった。
宇宙へ行くロケットも、兵器のミサイルも、中身は同じだからね。」
ミサイル開発に巨額なカネをつぎ込むには、世論と議会の承認が不可欠である。
月着陸の目標を掲げたからこそ、人々は賛同した。
(つまり、ミサイル兵器開発のカモフラージュとして、アポロ計画は誕生した)
またアポロ計画は、ベトナム戦争が泥沼化して人気が落ちていたニクソン大統領にとって、人気回復の切り札でもあった。
イブ・ケンドール(ニクソンの秘書だった人物)
「CIA長官は、ソ連の力を過大評価していました。
彼は、『ソ連は数ヶ月以内に、月に人間を送り込むに違いない。アポロ11号をすぐに打ち上げましょう。』と言いました。
大統領顧問のアレキサンダー・ヘイグかドナルド・ラムズフェルドだったと思いますが、躊躇しながらこう言ったのです。
『スタジオで月面歩行の様子を撮影して、それを人々に見せればいい』と。」
ドナルド・ラムズフェルド(当時はニクソンの側近)
「私がニクソン大統領にそう言うと、キッシンジャーも賛成したんだ」
ヘンリー・キッシンジャー(当時は国務長官)
「私は本気にしていなかったが、そのまま話が進んでしまった」
ローレンス・イーグルバーガー(ニクソンの顧問)
「基本的に、キッシンジャー、ヘイグ、ラムズフェルドによって決められた」
イブ・ケンドール
「ニクソンは数分間考えてから、こう言いました。
『諸君。全てを準備するのに、あと2週間もないぞ』」
有人月面着陸の捏造に、唯一の反対者だったのが、ウォルタース(CIA副長官)だった。
ヴァーノン・ウォルタース
「私は大統領に、『嘘をつくのは大変に危険だ』と進言しました。
秘密はいずれ暴かれるからだ。
でもニクソンは悲しそうに、『それでもやるんだよ』と言ったんだ。」
ドナルド・ラムズフェルド
「私は今でも、あの決定は正しかったと思っている。
アメリカの強さを認めさせるために必要だった。
ニクソン大統領は、『ぜひ君にこの仕事をしてもらいたい』と言いました。
そこで急遽、必要な人材の洗い出しをした。
思いつく人材はたった1人、スタンリー・キューブリックでした。」
キューブリックは、1968年制作の『2001年・宇宙の旅』で、宇宙飛行を描いていた。
それは非常にリアルで、宇宙船内や宇宙服の斬新なデザインはNASAを感心させていた。
特にモノリスという進化のシンボルを発見する月での場面は、作り込まれていたために「本当に月でロケをした」との噂が立つほどだった。
ラムズフェルドは、「キューブリックならば、誰も疑わないほどの映像を作れる」と考えた。
だが、2週間でセットを作るのは無理である。
ラムズフェルドは、2001年・宇宙の旅のセットがまだロンドンに残されていると知り、それを活用する事を考えついた。
しかもラムズフェルドには、キューブリックに貸しがあった。
キューブリックが1963年に制作した『博士の異常な愛情』では、撮影をする際に国防総省の内部に入れる特別な許可を与えたからである。
キッシンジャーとラムズフェルドはロンドンに行き、月面セットのあるMGMスタジオで、最小限のスタッフでキューブリックに撮影させた。
技術者は2名で、月面に降りるアームストロングとオルドリンに扮したのは、CIAの工作員だった。
彼らは秘密を守る事を強要された。
キューブリックの妻・クリスチャン
「キッシンジャーは、キーパーソンだったわ。
現場ではとても緊張していて、大きなスーツケースを持ち歩いていました。
本当に映像が出来上がるのか、みんな興味津々だったわ。」
ヤン・ハーレン(キューブリックの義弟)
「映像が出来上がった時は、キッシンジャーも喜んでいたね。ファンタスティックだって。」
ロケットが地球から飛び立つ映像は、ハリウッドで撮影された。
NASAは、映画プロデューサーのジャック・トランスに話をもちかけた。
ジャック・トランス
「ハリウッド全体が、他のプロジェクトを放り出してロケットの打ち上げ撮影に協力しました。
700人のスタッフが参加しました。」
(アポロ11号の発射映像がユーチューブにアップされていますが、宇宙に飛んでいくロケットを同じ距離間でカメラがずっと追っていくという、冷静に見るとおかしな映像になっています)
1969年7月17日に、アポロ11号は発射された。
ソ連政府とKGBは、アポロ映像をもちろん見ていた。
ディミトリー・マフリー(元KGB工作員)は、当時に写真を解析した1人である。
マフリー
「我々が一番驚いたのは、彼らが多くの間違いを犯した事です。
月面での写真撮影に用いられたのは、ハッセルブラッド500というカメラです。
NASAの写真を見ると、ケースなどで覆われていません。
月では、わずか2時間で130℃からマイナス150℃まで変化します。
50℃でフィルムの薬品は変化し、カメラ内で膨張してレンズを壊してしまいます。
また、マイナス50℃になれば、レンズは凍りつき粉々になります。
さらに放射線によって、フィルムの色も破壊されます。
月面では、ケース無しに写真など撮れないのです。」
マフリーは、2枚の写真を見せてくれた。
この写真は、NASAが絶対に現像しなかったものだという。
1枚は、月面にいる2人の飛行士の影が、90度違う方向を向いたもの。
もう1枚は、月面に残されたキューブリックの写真。
月から帰還したとされる宇宙飛行士のアームストロングとバズ・オルドリンは、その後ためらいなくNASAを去った。
ロイス・オルドリン(バズ・オルドリンの妻)
「バズは、酒に溺れるようになりました」
マリア・ヴァルガス(バズ・オルドリンの姉)
「バズは、道を歩いてはあちこちにぶつかり、たわ言を言うようなってしまったの。」
オルドリン本人も、こう振り返る。
オルドリン
「絶望に打ちのめされると、人は死んでしまうのだ。
我々は、本当に月に行ったのだろうか…。」
○ 村本のコメント
アポロ計画での月面写真・動画は、ほとんどがスタジオで撮影した捏造のものだと思います。
捏造を検証している番組がユーチューブにアップされていますが、とても説得力があります。
アポロ計画では、月着陸は何回も行われたことになっていますが、少なくともアポロ11号については捏造でしょう。
「本当は月に行ったが、そこで得た情報は公開したくないので、偽の写真や映像を流した」
「月には宇宙船がたくさん居て、それは公開できないので、あらかじめ用意しておいた偽の写真や映像を流した」
といった説もあります。
これについては、現段階では私には何とも言えないです。
アポロ14号あたりでは、月の近くまで行ったかもしれません。
「月には反射鏡が設置されている。それは確認されている。だから、アポロ計画で月に人が降り立ったのは間違いない。」と言う人がいます。
しかし、月に反射鏡を置くだけならば、無人でも可能でしょう。
反射鏡を上空から落とせばいいだけです。
月には空気がほとんど無いので、それほど難しくないのではないでしょうか。
重力も6分の1ですし。
今回この記事を作成するにあたって情報を収集し、ネット上の人々の意見も見ましたが、アポロ映像を100%本物と考えている人たちは、一部の情報だけを頼りに信じきっている感じがします。
私には、アポロ映像(月面での活動映像)のほとんどは説得力の無いものに見えますね。
動きがとにかく不自然です。
月面の特殊な環境を考慮しても、違和感を覚えます。
(2014年7月17日に作成)