仕事にボランティアの精神を導入しよう
(2016.10.15.)

先日に、新たな都知事に小池百合子さんがなりました。

それ以降、築地市場の移転先となっている場所が酷い状態なこと、東京五輪の総費用が招致時の4倍(3兆円)にも上りそうなことと、都政の悪事が次々と明らかになっています。

昨日のニュース(ひるおび)では、東京五輪の工費が膨らむ問題について解説しており、招致時の見積もりがずさんだったことや、競争入札になっていないので受注する建設会社がぼろ儲けできる状態なことが分かった。

で、この解決策として「数社による競争入札にすれば、建設費がもっと下がる」との意見も出ていた。

政治や商売では、強欲さを基盤とした醜い事件が切れ目なく起きています。

商売の分野でも、東芝の会計不正、三菱自動車の燃費不正、ブラック企業の横行と、散々な有様です。

こうした問題について、今の日本では「厳しい監視」とか「第三者の目」とか「公平な競争」で解決しようとする。

だが、あまり上手くいっていない。

正直なところ、多くの人が諦めムードで、「人間は強欲だから不正はなくならない」と語る人までいる。

その一方で、近年は『ボランティア活動』が活発になっています。

日本では、沢山の人が、幅広い人が、ボランティア活動に関わっており、以前は「ボランティアはダサい」という空気もあったが、その感覚は絶滅したといっていいでしょう。

で、真面目で献身的な日本人は、ボランティアとなると普段は嫌がるような汚い作業まで甲斐甲斐しく行う。

ボランティアで働く人々を見ていると「世の中はこんなに良い人に満ちているのか」と思う。

ところが、この良い人達は仕事になると、態度が変わりがちです。
それは、奉仕の精神で働くと痛い目をみる(安い給料できつい仕事をやらされたりする)ことが、ビジネス界で繰り返されているからです。

今の日本および地球では、「ボランティア活動」と「仕事」が真っ向から対立しています。

水と油の関係と認識されていて、ボランティア活動をしている社会人は「いつもと違うことをしている」と考えられている。

今回の提案は、この現状を変えようとするものです。

『普段の仕事にボランティア精神を導入すれば、社会から悪や不正は減っていく』、この啓示が本日の朝3時に私に現れた。

そうして外が真っ暗な中、近所が寝静まっている中、パソコンを前にこれを書いている。

私は以前から、世間の「仕事」の捉え方に疑問と違和感を持ってきました。

仕事とは「仕える事」なわけですが、ほとんどの方は「自分の属する組織に仕えること」とか「金をくれる人に一時的仕えること」と考えていると思う。

私は、仕事とは「社会に仕えること」だと考えて生きています。

『一組織とか雇用主に仕えることは、軽薄な仕え方であり、それは真実のものではない』

こう思うのです。

私の視点・感覚では、皆がボランティア活動を行っている時のほうが、普段に仕事場で働いている時よりも仕事をしているように見えるのです。

ボランティア活動をしている時のほうが、人間は自然な働き(無理のない自分らしい活動)をしていると思う。

ここで、上記した東京五輪の工費の膨張に話を戻します。

これを解決するために、数社による競争入札を採用したとしましょう。

そうなれば、工費は安くなるかもしれない。

しかし、受注したい会社が都の職員に接待をしたり、費用を削るためにずさんな工事が行われたりと、新たな問題が起きるかもしれません。

競争原理は、資本主義を信奉する人が大好きな原理なのですが、それでは悪も不正も無くならない。

そうではなく、『ボランティア精神の導入』こそが真の解決につながる。

もしボランティア精神を発揮すれば、1社の独占受注でも工費が必要以上に膨らむことはない。

受注した会社は、「これは国民や都民の税金で行われる事業であり、最良の建築物を無駄なく造らなければいけない」と認識する。

人は、「これは商売である」と考えると、「できるだけ稼ごう」と考え始める。

そうなると、「利益を上げるために頑張らなければ。高値でふっかけたり、無駄な建設も入れてしまおう」などの邪な発想が湧いてくる。

で、ほとんどの人間はそうした環境に共感できず、「仕事はつまらない」と感じてしまう。

皆が純粋な奉仕の気持ちで働きだせば、効率性が向上して無駄がなくなり、自由な意見交換が増えて人々の意欲も上がると思うのです。

ボランティア活動の現場を見ると、参加者の意欲の高さや無駄のない連係に刮目することがあります。

ああいう人々が躍動する雰囲気は、ほとんどの仕事場にはないと思う。
これが残念で仕方ない。

もし「仕事とは社会に仕えることである」との認識が広がれば、人々は今よりも自由な行動をとるようになるでしょう。

例えば「育事も立派な仕事である」とか「介護も立派な仕事である」とか「被災地の支援も立派な仕事である」と気付くため、育事休暇とか介護休暇とか被災地支援休暇を有給で要求するようになる。
「それは休暇ではない」と気付く。

それに、社会全体に不利益になることを誰かがしようとしたら、容赦なくそれを告発する。

このことが企業経営者とか政治家に受け入れづらいから、権力者が無理矢理に仕事の定義を狭くしている側面がある。

本当の仕事とは、もっと偉大で尊く美しいものなのだ。

話のまとめに入りますが、仕事とボランティア精神は矛盾しないのです。

むしろボランティアに仕事を近づければ、仕事は輝き充実する。

今の社会で仕事と認識されているものの多くは、「我慢を強いる悪行」だったり、「不必要な競争」だったり、「非効率の連鎖」だったり、「強欲の競演」だと思います。

美しくないし、幸福にもつながらない。

仕事をもっと楽しく素晴らしいものにするために、仕事の定義を拡大しよう。

仕事とは、人々に仕えること、もっと言えばすべての生命に仕えることです。

この真実に気付いた時、政治と商売から悪事と不正が無くなります。


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