(『苦悩するパキスタン』水谷章著から抜粋)
ISIが支援・育成したタリバンは、アフガニスタンで政権を獲ったが、その後もアフガンへのISIの工作は活発であった。
2000~01年にタリバン政権の駐パキスタン大使だったアブドゥル・ザイーフは、著書『タリバンとともに歩んで』の中でISIについて以下のように述懐している。
〇 ザイーフ・元駐パキスタン大使の証言
大使として着任後、ISIがパキスタン政府で中心的役割を果たしている事を知った。
ISIは、ソ連のアフガン侵攻前からアフガン政治に影響を与えていたが、野望を顕わにしたのはソ連が1973年7月にアフガンでクーデターを主導してからである。
ソ連の勢力が増していくのに脅威を感じたISIは、ソ連に対抗するジハード戦士に接近して、彼らと強固な関係を作った。
(その後、アフガンでは1979年に、ソ連軍とイスラム戦士の戦争が始まる)
1980年には、ISIの監督下で、イスラム戦士はいくつかの事務所をパキスタンに持つようになった。
ISIは、イスラム戦士の派閥間で重要な役割を演じ、下級職員たちはパキスタンでよりもアフガンでより有名だった。
(1980年代のパキスタンは、アメリカの支援を元にして、対ソ戦をするイスラム・ゲリラを育成・支援した。
アメリカはイスラム・ゲリラを直接は支援しづらいので、パキスタンを間に入れてカモフラージュした。
オサマ・ビンラディンはこの時期はパキスタンにおり、アメリカCIAやISIと協力して、対ソ戦をしていた。)
自分はタリバンの代表として、ISIから距離を置こうとしたが、彼らの影響を完全にかわす事はできなかった。
私は大使になる前は、国防大臣代理をしていたが、ISIは定期的に接近してきた。
多くの事をオファーされたが、自分はそれらを斟酌したことはない。
この隠密機関は、人々を拘束して留置し、しばしば暗殺も手掛ける。
活動は、アフガニスタン、インド、イランに及び、現地人をリクルートしてスパイ網を維持している。
職員たちは、諜報技術から爆発物についての訓練まで受けている。
彼らは全ての階層にリクルートを努め、アフガン政府の内部にも網を張り巡らしている。
私の所にも、何回も説得工作員がやって来た。
彼らは繰り返し、「ISIと協力する事が、アフガンや貴方にとって最高の利益になる」と言ってきた。
アフガンに赴くパキスタン代表団には、大抵はISI職員が同行していた。
ISIは、タリバンと密接な関係を維持していたが、同時にタリバンの敵対勢力とも繋がりを維持していた。
9.11事件の前も後も、彼らはタリバンに敵対する様々な軍閥を支援してきた。
2001年末のアメリカによるアフガン攻撃の直前に、タリバンと近かったISI職員の多くは更迭された。
ISIは、アメリカの要求で、アフガン関係の書類の焼却をしたとも聞いている。
開戦の2日後に、オマール新ISI長官が私の所に来て、こう伝えてきた。
『タリバンを原理主義派と穏健派に区分けするのに手を貸してくれ。
そして、オマル師に対抗する穏健派を率いてくれ。
資金面その他で手助けを約束する。』
○ 村本のコメント
この証言が事実ならば、ISIはアメリカ政府(特にCIA)の下請け機関となっていますね。
パキスタンがいつまでも民主化できないのは、ISIを使って謀略を繰り返すアメリカのせいと見ていいと思います。
(2014年10月22日に作成)