オサマは、サウジ王族(政府)に一貫して支援されてきた

(『ぬりつぶされた真実』幻冬舎から抜粋)

オサマ・ビンラディンは1978年に、サウジの諜報機関の長官トルキー・ファイサル王子の要請で、アフガニスタンに義勇兵を送り込む組織『アフガン・アラブ派遣隊』を結成した。

その後オサマはパキスタンに行き、アブダッラー・アッザームに会った。

アッザームは、打倒ソ連の志願兵を率いるために、1980年代初めに「ムジャヒディン奉仕の事務所」を設立した。

オサマは、その事務所の財務責任者となった。

1989年にアッザームが暗殺されると、オサマが後任の座に就いた。

オサマは、諜報機関の長官(軍統合諜報局の長官)だったトルキー・アル・ファイサル王子と親友だった。

2人があまりに連絡を取り合っているので、1990年代の初頭には「オサマはサウジの諜報機関の影のボスではないか」とイスラエルに見られた事もある。

オサマは1995年4月のインタビューで、「サウジの王族たちは、自分をアフガニスタンにおける彼らの代理人に選んだ」と語っている。

(アフガニスタンでソ連とイスラム戦士が戦った1980年代に、オサマはサウジ政府とアメリカCIAの支援を得てアフガニスタンで活動した)

オサマ・ビンラディンは、1994年にサウジ国籍を剥奪された後も、彼の家族やサウジ王家のスデイリ・セブンと密接な接触を保った。

サウジ王家は、一貫してオサマに金銭と物資の援助をしていた。

この関係は、9.11事件の前まで続いていた。

トルキー・ファイサル王子とその密使は、しょっちゅうオサマと会っていた。

オサマ・ビンラディンは、1991年にスーダンのハルツームに移住した。

彼のスーダンでの経済活動は、「ワーディ・アル・アキーク」という持株会社で行われた。

この持株会社は、スーダン、イエメン、ケニアの企業を再編したものと思われる。

オサマの投資の主な対象の1つは、アル・シャマール・イスラム銀行だった。

彼は5000万ドルほどでこの銀行に資本参加し、イスラム過激派にマネーを提供させた。

UAEに拠点を置くドバイ・イスラム銀行は、オサマの組織に定期的に資金提供していた事が明らかになっている。

この銀行は、ムハンマド・ハルバシュが経営しており、ハルバシュはUAEの大蔵大臣である。

ドバイ・イスラム銀行は、BCCIの主要株主の1つであった。

この銀行は、通称フータンガと呼ばれるマリの億万長者の、2.4億ドルに上るマネー・ロンダリングに関わったとされている。

オサマ・ビンラディンは何よりもまず、イスラム教ワッハーブ派(サウジの国教)によって生まれた存在である。

彼は、サウジ王国の布教活動の1つとして現れた。

サウジ政府は、オサマの捜査について、アメリカに決して協力しなかった。

一方オサマは、サウジを痛烈に批判した事もあったが、サウジをテロのターゲットにはしなかった。

(2014年7月31日に作成)


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