ビンラディン一族は、サウジで屈指の財閥である
ビンラディン・グループの歴史

(『ぬりつぶされた真実』幻冬舎から抜粋)

ビンラディン財閥は、ムハンマド・アワド・ビンラディンによって、一代で築き上げられた。

ムハンマド・アワドはイエメン生まれで、1928年にサウジアラビアに移住し、アブドゥル・アジーズ国王(サウジを建国した人物)と密接に結びついた。

1931年に彼は、『サウジ・ビンラディン・グループ(SBG)』という企業を設立した。

SBGはすぐに、サウジ最大手の建設業者となった。

そして王宮の建設や、メッカとメディーナの2大聖地の修復を受注して、発展していった。

1960年代には、ムハンマド・アワドは建設大臣まで務めている。

サウジ王室からの優遇と引き換えに、SBGは王族たちに金融業と商業のアドバイスをした。

SBGは、収支決算の公表を免除されており、債券を発行できるサウジで唯一の私的機関でもあった。

SBGは、1970年代から多角経営を始め、建設業以外の部門を作っていった。

2001年には、3.5万人の雇用を抱えて、サウジで1番の雇用主である。

SBGの1991年の売上は50億ドルで、世界のトップ100社に入っている。

多くの企業は、中東に進出する際にはSBGと提携をする。

実際に、アウディ、ポルシェ、GE、キャドバリー・シュウェップスなどと提携してきた。

父ブッシュが親しくしている「カーライル・グループ(アメリカの投資会社)」に対して、ビンラディン一族は投資をしていた事が明らかになっている。

ビンラディン一族は、1995年にカーライル・パートナーズ11ファンドに数百万ドルを投資し、140%のリターンを得たという。

カーライル・グループは、アメリカの軍事産業に投資しており、軍事関連会社の株主になっている。

ウォ-ル・ストリート・ジャーナル紙は、「オサマの兄弟の1人と息子ブッシュは、かつてビジネスパートナーだった」と明らかにした。

ビンラディン一族のほとんどは、エジプトのアレキサンドリアにある「ヴィクトリア・カレッジ」で教育を受けている。

この学校はイギリスの影響が強く、ヨルダンのフセイン国王、アドナン・カショーギ(著名な武器商人)、サウジの諜報機関の長官になるカマル・アドハムらも通っていた。

だがオサマ・ビンラディンは、留学を選ばずに、サウジのアブドゥル・アジーズ国王大学で学んだ。

ムハンマド・アワドの子供たちは、母の出身国によってグループを作った。

「シリア・グループ」「レバノン・グループ」「ヨルダン・グループ」「エジプト・グループ」などである。

オサマの母はサウジ人(シリア人との説もある)だった。

1968年にムハンマド・アワドが死ぬと、財産は23人の妻と54人の子供に分配された。

最も小さい子供は、1967年生まれだった。

資産はまず、叔父のムハンマド・バハレス(建設業界の重鎮)に預けられ、彼はビンラディン一族の財務顧問となった。

1972年になると、長男のサーリムがSBGのトップに就いた。

サーリムはその後、イラン・コントラ・ゲート事件や、ソ連に対抗するアフガン戦士たちの援助に関与しているという噂が流れた。

ファハド国王の親友でもあったサーリムは、1988年にテキサスで飛行機事故により亡くなった。

その後、年長のマフルースが後を継いだが、実権を握ったのはハサン、イエスラム、ヤヒヤーの3人の兄弟であった。

SBGは1980年に、スイスのジュネーブに「シグネット社」という投資会社を設立した。

同社は、現在では「サウジ投資会社(SICO)」と改名されているが、経営者はオサマの兄のイエスラム・ビンラディンである。

SBGは、オランダ領のアンティル諸島や、イギリス領のケイマン諸島に、子会社を持っている。

(これらの地は、タックスヘイブンとして有名です)

SBGは、現在(2002年)は1947年生まれのバクル・ビンラディンが率いている。

ビンラディン一族とサウジ王族の密接な関係は、これまで揺らいでいない。

1970年代末のマフルース・ビンラディンの逮捕、BCCIのスキャンダルへのビンラディン一族の関与、オサマのテロ開始があっても、関係は変わっていない。

これほど結びついている以上、オサマの行動をサウジ王族(サウジ政府)が容認してきたのは明らかである。

(2014年8月7日に作成)


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