(『ぬりつぶされた真実』幻冬舎から抜粋)
(以下は、アメリカ国務省が1996年8月14日に出した、オサマ・ビンラディンについてのレポートの抜粋です)
サウジアラビアの大手建設業者ムハンマド・ビンラディン(ビンラディン・グループの創設者)の息子の1人であるオサマは、1979年12月にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、すぐにアフガンでの抵抗運動に身を投じた。
アフガン戦争(対ソ戦)を通じて、オサマは「兵員の召集・輸送」「義勇兵の訓練」などに資金を提供し、名声を上げた。
1985年までにオサマは、私財と寄付金を合わせて、イスラム救済団体(後のアルカイダ)を組織した。
オサマは、アフガニスタンとパキスタンに軍事キャンプを設置し、対ソ戦に備えて軍事訓練を施した。
彼はアフガン戦争中に、ブルドーザーなどの重機を輸入して、道を拓いたり兵員の宿泊施設や病院を建てたりもした。
1989年にソ連がアフガンから撤退して、アフガン戦争が終わると、オサマはサウジアラビアに戻り家業の建設業に従事した。
だが彼は、イスラム武装勢力への資金援助を続けた。
イスラム過激派と会うのを防ぐため、サウジ当局は89~91年の間、彼のパスポートを留保していた。
1991年に、オサマはスーダンに移住した。
ここでは、国民イスラム戦線(NIF)の指導者であるハサン・アットゥラービーから歓迎された。
1994年のインタビューでオサマは、「83年からスーダンでのビジネスを研究してきた」と語っている。
オサマはスーダンでビジネスをし、スーダン政権の代理人として公共インフラ開発のプロジェクトに関わった。
そしてNIFのメンバーと、ビジネス上の共生関係を築いた。
オサマの会社は、ハルツームとポート・スーダンを結ぶ道路を建設し、ポート・スーダンに国際空港を建設した。
(ハルツームは、スーダンの首都です)
「ワーディ・アル・アキーク社」というオサマの輸入商社は、ゴム・とうもろこし・ヒマワリ・ゴマといった、スーダンの主要な輸出農産物をほぼ独占した。
「アル・シマール・アル・ムバーラカ農業生産会社」というオサマの会社は、ハルツーム近郊およびスーダン東部の広大な土地を手中にした。
オサマとNIFの幹部は、ハルツームのアル・シャマール・イスラム銀行に投資した。
オサマは5000万ドルを、この銀行に投資した。
オサマは、かつてアフガン戦争に参加したイスラム戦士を、渡航費を出してスーダンに移住させた。
1992年にソマリアで起きたアメリカ兵を狙った爆破事件では、犯人は「オサマから資金援助を受けた」と主張した。
1993年5月に公表されたエジプトとサウジの共同調査によると、オサマはエジプトの過激派にも資金を援助している。
1994年までに、NIFとオサマはスーダン北部に軍事訓練キャンプを作った。
オサマの会社は、スーダン当局と協力して、キャンプ地に物資や兵員を送った。
パキスタンの調査員によると、93年に起きた世界貿易センタービルの爆破事件の首謀者といわれるラムジ・ユースフは、95年2月に逮捕されるまでペシャワールにあるオサマのゲストハウスに居たという。
エジプト政府によると、オサマは依然としてアフガンの軍事訓練キャンプに資金提供をしている。
アルジェリア・エジプト・イエメンの3国は、国内のイスラム過激派を支援したかどで、オサマを告発している。
サウジ政府は、94年2月にオサマの国籍を剥奪した。
○村本のコメント
ここではいっさい触れられていませんが、1980年代のアフガン戦争(対ソ戦)のときにアメリカ政府はCIAを使って、オサマを支援していました。
オサマが「兵員の召集・輸送」や「義勇兵の訓練」をしたと書かれていますが、その資金を提供したのはアメリカとサウジアラビアです。
この文書で驚くのは、オサマが『スーダンで大ビジネスを展開していた事』です。
(2014年8月7日に作成)