(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
パナマ指導者のオマール・トリホス将軍と私は、秘密の約束を尊重した。
私は正当な調査を実施し、貧しい人々を勘定に入れた開発プランを作った。
(私の勤める)メイン社には次々と契約が舞い込み、競争相手はパナマから追い出されていった。
私はまた、トリホスとカーター米大統領が新たな運河条約のための交渉を開始するのを、見守っていた。
この交渉は、多くの人々が注目し、アメリカの保守派は憤りを露わにしていた。
トリホスは1975年に、私たちを前にこうスピーチしていた。
「フォードは弱い大統領だから、再選しないだろう。
だからこそ、私はパナマ運河の問題を一気に解決しようと決心した。
今こそアメリカと全面対決してでも、運河を取り戻す時だ。」
1977年になると、ホワイトハウスにはジミー・カーターがいて、運河条約の真剣な交渉が行われていた。
(※カーター大統領はパナマの立場に理解があり、運河をパナマに渡すのを認めようとしていた)
グレアム・グリーンが発表した記事は、「アメリカ情報機関は、カーター大統領の意思を削ごうとしており、パナマ軍の上層部を抱きこもうとしている」と示唆していた。
グリーンとトリホスは親友だった。
私のパナマでの仕事は、エコノミック・ヒットマン(EHM)の役割を逸脱していた。
私のした事は、メイン社のためにはなっても、アメリカ帝国の拡大には繋がらない。
EHMが失敗した時は、ジャッカル(暗殺のプロ)が送り込まれる。
ラテンアメリカの歴史は、英雄の死体に満ちている。
私はトリホスの身を心配した。
1977年に、トリホスとカーターは『パナマ運河をパナマ政府の管理下に置くことを定めた新条約』を締結した。
アメリカ議会では、わずか1票差の批准だった。
アメリカの保守派は復讐を誓い、トリホスは暗殺される事になった。
(トリホスの暗殺事件は、『アメリカ史 1980年代』に書いてあります)
(2015.7.3.)