(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
リチャード・ニクソン大統領(共和党に所属)が作った、自らが「再選するための委員会」は、謀略活動も手がけた。
この委員会は1972年6月17日に、(ワシントンDCのウォーターゲート・ビルにある)民主党の事務所に盗聴装置を仕掛けようとしたが、現場で工作員が見つかって逮捕された。
ところが、ニクソンは関与をいっさい否定したため、世論の関心事とならなかった。
しかし、ワシントンポストの記者がホワイトハウスが関わっていたのを探り出し、もみ消し工作の実態も明るみに出た。
この『ウォーターゲート事件』の調査の中で、大統領の執務室に録音装置があったことが明らかとなったが、ニクソンは録音テープの提出を拒否した。
そして、ジョン・ミッチェル司法長官を解任してしまった。
(ミッチェルは、上記の再選委員会の責任者だった)
このため、疑惑はさらに強まった。
やがて、CIAやFBIの非合法の諜報活動を、ニクソン大統領が指示していたのも明らかになった。
1974年5月に、大統領執務室の録音テープについて、提出命令を最高裁が出し、ニクソンは応じることを余儀なくされた。
7月下旬には、下院議会による弾劾が確実となった。
ここに至り、ニクソン大統領は8月8日にもみ消し工作を認めて、翌日に辞任した。
彼の後は、副大統領のジェラルド・フォードが継いだ。
大統領の辞任は、アメリカ史上で初であった。
立法府と司法府が大統領の不正をしっかりと追及し、世論もそれを支持したことは、アメリカの民主主義の力強さを証明した。
大統領を追いつめて辞任させても政治体制の危機にならなかった事は、政治の安定性を裏づけた。
(『大統領の英語』松尾弌之著から抜粋)
ここで引用するのは、1972年6月にホワイトハウス内で交わされた会話である。
ニクソン大統領の話し相手は、腹心のホルデマン(主席補佐官のハリー・ロビンズ・ハルデマン)で、2人は『FBIがしつこくウォーターゲート事件の核心に迫るなら、CIAが事件に絡んでいるのを匂わせて捜査を中止させよう』と相談している。
ニクソン大統領
「もちろん、これは(E・ハワード・)ハントがらみさ。
で、かさぶたを取ったが最後、バカみたいに沢山の事が表に出てくる。
だから、これ以上は突っ込まれたくない。
(亡命)キューバ人、ハント、その他のクソミソと、こっちの知らない事が出てくる。
どうなんだね?(検事総長の)ミッチェルは多少はこの事を知っているのかね?」
ハリー・ホルデマン
「だと思います。」
ニクソン
「だが、ダールバーグやテキサスの人物なんかがお出ましになるとは思わなかった、という訳だな。
で、それをやったクソ野郎は誰なんだ?(ゴードン)リディなのか?」
ホルデマン
「奴です。情報を手に入れよとの圧力が強まって、それで手下にハッパをかけて…。(中略)
FBIは、(チャールズ)コールソンと昨日に会っています。
で、奴に査問をした。
FBIは2つの方向をにらんでいます。
1つは、『これはホワイトハウスが仕出かしたことで、選挙委員会ではない』と。
もう1つは、『亡命キューバ人とCIAがやった』と。
そして、昨日にコールソンの話を聞いて、「これはホワイトハウスではない」と。
コトがCIAに向かうとなると…。」
ニクソン
「私はあまり首を突っ込みたくない。だからお前から連中に言え。
(中略)
こっちに鉾先が向かってくると、ウチの小僧どもの手に負えなくなる。
CIAが突っぱねてくれればいいけど、どうなるのかね。
(中略)
連中(FBI)が来たら、言ってやれ。
『あまり暴きたてると、ピッグズ湾事件(の真相)が全部、明るみに出るんだぞ。大統領はそれを考えている。』と。
これ以上の深入りはせん方がいいと。
この線でいこう、分かったな。」
ウォーターゲート事件への世論は厳しくなっていき、下院の調査委員会は1974年4月に、ニクソン大統領を議会に召喚する決議をした。
同年8月には最高裁の命令で、上記のホワイトハウスの会話テープが公にされた。
最終的に、インピーチメント(議会が裁判所となって、被告の大統領を裁くという憲法上の制度)の成立が確実となった。
これを避けるには、大統領を辞任するしかない。
自ら大統領を辞すれば、元大統領としての数々の恩典に加え、年に15万ドルの恩給も支給される。
だからリチャード・ニクソンは、自ら辞任することを決めた。
(2016年3月24日に作成)