(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
1978年1月24日に、ソ連のスパイ衛星(コスモス954)がカナダに墜落した。
NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)は、コスモス954をずっと追跡していたが、1977年12月に、この衛星が軌道を外れつつあるのに気付いた。
このスパイ衛星は、アメリカの潜水艦を監視するものだったが、NORADの分析では全長14mで重さは4.4トンもあり、軌道に乗せるには驚異的なエネルギーが(つまり原子力エネルギーが)必要だった。
このままだとコスモス954は北米に墜落するので、カーター政権の国家安全保障担当・補佐官であるズビグネフ・ブレジンスキーは、衛星に搭載されているものを明らかにするようモスクワ(ソ連政府)に迫った。
ソ連の回答は、「50kgの高濃縮ウランが積まれている」だった。
CIAは、衛星がどこに墜落するか予測できないので、この事を一般市民に公開しないことを決めた。
ブレジンスキーの公けの場での発言は、「アメリカは宇宙時代の困難に直面している」だけだった。
しかし、当時にラスヴェガスにあるエネルギー省の緊急司令部で働いていたリチャード・ミンガスは、「緊張の糸が張りつめていた」と振り返る。
原子力災害に対処する『NEST(核緊急捜査隊の略)』のトップだったマーロン・ゲイツ准将は語る。
「NESTの活動の中核は、EG&G社が規定していた。
全事業の責任はEG&Gにあり、隊員は(コスモス954の)墜落に備えてマッカラン国際空港で待機していた。」
(※NESTは、1975年にマーロン・ゲイツがネヴァダ核実験場の責任者になると組織されたものである)
コスモス954は、カナダのツンドラ凍土帯、モンタナ州の1600km北にあるグレース・スレーヴ湖の付近に墜落した。
マッカラン国際空港では、NESTの覆面車たちがC-130輸送機に積まれ、出動する準備が整っていた。
覆面車たちは、一見するとパン屋の車に見えるよう擬装されていたが、車内はガンマ線や中性子の探知機で埋め尽くされていた。
NESTは現地に着くと、まず大気中の放射線量を測定し、放射性物質の残骸の捜索を始めた。
数ヶ月を費やして、残骸の90%は回収された。
(つまり10%は回収されていない)
事故後にNORADは、「もし人工衛星がもう1周していたら、アメリカ東海岸のどこかに墜落していた」と分析している。
(2021年6月24日に作成)