1970年代の無人機の開発

(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)

CIAは、1974年までにエリア51での実権を空軍に明け渡した。79年だったという説もある。

エリア51におけるCIA活動の大半は、無人機の開発だったが、1969年には『プロジェクト・アクウィライン』を始めている。

これは全長1.8mの無人機で、ワシかタカに見えるように設計されていて、機首に小型テレビカメラ、翼の下に写真機とエアサンプリング用センサーを搭載していた。

CIA局員で初めてNRO(国家偵察局)に配属されたジーン・ポティートは言う。

「カスピ海の上空を飛ぶ我々のスパイ衛星が、大きくて奇妙な形の双発船が動いている画像を撮った。

そのソ連の双発船が何なのかを知るのが、プロジェクト・アクウィラインの目的だった。」

2008年9月にBBCニュース・マガジンが、エクラノプランという冷戦時代のソ連の水中翼船を取り上げた。

これがアクウィラインが目的とした船だった。

プロジェクト・アクウィラインは、請け負い業者のマクダネル・ダグラス社が予算を1億ドルも上回る見積もりを出して終焉を迎えた。

CIAが無人機を動物に見せかけたのは他にもあり、『プロジェクト・オーニソプター』では翼を上下にパタパタ動かす鳥型の無人機もテストされた。

『プロジェクト・インセクター』では、トンボそっくりの昆虫サイズの無人機もテストした。

このような計画は、本物の鳥や猫をスパイに仕立てるものもあった。

鳩の首に小型カメラを結びつけたが、鳩は疲弊して歩いて帰還したため失敗に終わった。

猫に盗聴器を付ける『アコースティック・キティ』というプロジェクトもあったが、猫が任務から離脱してしまい失敗に終わった。

1974年にCIAと空軍は協定書を交わして、エリア51でプロジェクトを開始した。

NASAの研究論文を手がけるピーター・メルリンは言う。

「そのプロジェクトは暗号名が機密扱いになっている。

1年続けられる予定だったが、ピーク時には20人が現場に配属された。」

未確認情報では、マッハ5、マッハ6級の無人機だったという。

1975年に米上院のチャーチ委員会が、CIAの非合法活動を暴くと、CIAの評判は地に堕ちた。

それが1979年にソ連のスヴェルドロフスク(現在のエカテリンブルク)にある研究施設らしき場所で起きた炭疽菌事故で、100人が死亡したとCIAが断定すると、風向きが変わった。

(※風向きが変わったのは、1980年の大統領選でロナルド・レーガンが勝ち、カーター政権からタカ派のレーガン政権に変わったのが、主因だと思います)

(2021年8月15日に作成)


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