共産主義の拡大を防ぐという名目で、
コンゴではモブツ大佐を独裁者にする

(『アメリカの時代』ウォルター・ラフィーバー著から抜粋)

ケネディ政権は、植民地主義に反対する運動を支持していた。

そのため、アパルトヘイト政策をしている南アフリカへの武器売却と政府借款を削った。

しかしケネディは、共産主義者だと判断した場合には、独立運動を弾圧した。

その1つの例が、コンゴである。

アフリカのコンゴは、鉱物資源に恵まれていて、カタンガ州はアメリカが航空機の製造に使っていたタンタルを供給していた。

コンゴは、1960年にベルギーから独立したが、その後もベルギー軍が駐留した。

コンゴのパトリス・ルムンバ首相は、カリスマ的な社会主義者で、ベルギー軍を追い払い、残っていた10万人のヨーロッパ人を脅かした。

その一方で、ベルギーの支援を受けたモイーズ・チョンベは、カタンガ州の独立を宣言した。

この時アイゼンハワー大統領は、両者の和解を目指す国連を支持した。

ところが、ソ連がコンゴに介入し、ルムンバを支援し始めた。

するとアメリカも介入を深め、1961年1月にはCIAの支援を受けたジョセフ・モブツ大佐が、ルムンバを捕えて殺害した。

1964年に反乱軍が3000人の外国人を人質として捕まえると、アメリカとベルギーは軍隊を投入して、反乱を鎮圧した。

65年には、アメリカはコンゴの支配者として、ベルギーと交替した。

ジョセフ・モブツは独裁者となり、政権はひどく腐敗したが、アメリカは支援し続けた。

(2014.4.3.作成)


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