(『アメリカの時代』『世界歴史体系 アメリカ史2』から抜粋)
ベトナム戦争が拡大していくと、学生を中心にして反戦運動が盛んになっていった。
学生(若者)は、徴兵の対象者だったので、切実な問題だった。
彼らはイデオロギーにこだわらず、経済への関心は薄く、社会改革に熱心であった。
この新しい世代は、これまでアメリカ社会が無批判に受け入れてきたものを、批判的に考えた。
象徴的だったのは、スタンレー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』である。
ここでは、アメリカ大統領やアメリカ軍が、ソ連と同じように愚かな存在として描かれた。
ある大統領補佐官によると、ジョンソン大統領にとって学生たちは、「異なる星からの侵略者であり、アメリカ人どころか地球人でさえなかった」らしい。
学生たちの反戦運動は、黒人達の公民権運動と手を取り合うようになり、新たな局面を迎えた。
ジョンソン大統領は、公民権のためには必死で努力したが、すべて遅かった。
公民権を求める騒乱は1964年に始まり、65年にはロサンゼルスの黒人ゲットーで暴動が起きた。
この時期には、北部の都市では黒人暴動が多発した。
65年には、43件もの都市暴動が発生している。
北部黒人のほとんどは、都市中心部のゲットー(スラム街)に集住し、極めて貧しい生活を強いられていた。
公民権法や投票権法が成立しても、生活に変化はなかった。
68年までに、タンパ、ニューアーク、アトランタ、デトロイトでも、暴動が起きた。
1968年4月に、黒人指導者のキング牧師が暗殺され、それをきっかけにしてワシントンまでが火に包まれた。
キングの死は、4月4日、組合ストライキの支援中での事であった。
ジョンソン大統領は、政府の建物に半旗を掲げさせた。
キングが暗殺されると、各地の都市で暴動が起き、大混乱になった。
黒人たちは、168もの都市で暴動を起こした。
そして、軍の装甲車がホワイトハウスを守らなくてはならない状態になった。
ジョンソンは、5.5万人もの兵士を動員して、治安を回復した。
キング牧師は、1966~67年の頃には、「人種偏見と軍国主義には、密接な関係がある。政府の関心がベトナム戦争にある限り、人種問題は決して解決できない。」と信じるようになり、反戦運動も展開していた。
ロバート・ケネディ上院議員も同じ結論に達していたが、68年6月に彼も暗殺されてしまった。
この時期のアメリカは、国内でも戦争が起きていたのである。
1969年までにアメリカは、反戦運動と公民権運動によって、完全にバラバラの状態になった。
社会の分裂の影響は、多くの芸術作品にも現れた。
1967年の映画『俺たちに明日はない』は、評判になった映画だが、主人公のボニーとクライドという銀行ギャングは、「暴力だらけの社会よりも、ずっと罪のない者」として描かれた。
(2014.4.25.作成)