ヘンリー・キッシンジャーを大抜擢する
2人で国政を行う 2人の考え方

(『アメリカの時代』ウォルター・ラフィーバー著から抜粋)

ニクソンは大統領に当選すると、ハーバード大の教授だったヘンリー・キッシンジャーをNSC(国家安全保障会議)の統括責任者に任命し、自分とキッシンジャーで外交を仕切ろうとした。

キッシンジャーは、ニクソンと共和党の大統領候補の指名で争った、ネルソン・ロックフェラーと緊密な関係にあった。

キッシンジャーは、アメリカの外交を長期にわたり支配してきた「東部エスタブリッシュメント」の出身である。

彼は、ニクソンを嫌っていた。

しかし、ニクソンが大統領になると、ニクソンと結びついた。

ニクソンとキッシンジャーは、「国務省と議会は外交を行う力がない」と考えていた。

ニクソンは、友人のウィリアム・ロジャースを国務長官にしたが、その理由はロジャースが外交の素人だったからである。

ニクソンは自身が保守主義者だったが、保守派の攻撃をかわすためにスピロ・アグニューを副大統領にした。

アグニューは、マスコミ非難を事あるごとにした。

キッシンジャーは、「異常なまでの猜疑心」のゆえに、部下の電話に盗聴器を設置した。

ニクソンとキッシンジャーは、「もうアメリカは、あらゆる場所で軍事活動をする力はない」との認識を共有していた。

1969年当時にアメリカは、海外に302の主要な軍事基地を持ち、2000もの副次的な軍事基地を持っていた。

2人は、アジアにおいては日本と中国と共同で、秩序を維持しようとした。

中国は共産主義国であり、それまではアメリカの敵国であった。
だから2人の提案は驚くべきものだった。

(ニクソン政権は、中国と仲直りして、国交を樹立した)

2人が恐れていたのは、共産主義ではなく、無秩序状態だった。

彼らは、正義よりも秩序を重視したのである。

彼らにとっての敵は、中国やソ連ではなく、北ベトナムやキューバなどの革命勢力だった。

2人は、「日本と中国だけではなく、場合によってはソ連をもパートナーとし、窮地にあるアメリカの財政を立て直そう」と考えた。

(2014.5.11.作成)


『アメリカ史 1960年代』 目次に戻る

『アメリカ史』 トップページに戻る

『世界史の勉強』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く