プロジェクト・ホライズン(月面基地の計画)

(『ペンタゴンの陰謀』フィリップ・J・コーソー著から抜粋)

1959年3月にアーサー・トルードー中将は、兵站部長に宛てて『プロジェクト・ホライズン』と呼ばれる月面基地の計画の書簡を送った。

その前年には、「アメリカ航空宇宙局」が創設されていた。
これは、宇宙の管轄権をアメリカ軍から民間機関に移し、宇宙開発を軍事目的にしない事を他国に示したものである。

しかしトルードーら、異星人の存在を知っている軍人は、ワシントンDCなどで宇宙船が目撃されている以上、いつ攻撃を仕掛けられてもおかしくないと考え、対抗策を練った。

『プロジェクト・ホライズン』は、ソ連よりも先に完全武装の月面基地を造るもので、最低でも10~20人の要員がその基地で生活するとした。

基地は順次拡張していき、地球からの支援なしに維持できるようにする。

ところが、ロズウェル事件の諮問委員会(※マジェスティック12のことか?)が難色を示した。

軍が月面基地を設置すれば、地球外生命体と遭遇する可能性が高まる。
そうなればマスコミに嗅ぎつけられ、諮問委員会が隠してきた事実(ロズウェル事件で宇宙船と異星人の遺体を回収したこと)が明るみに出ると言うのだ。

『プロジェクト・ホライズン』は、1965年4月にまず2名を月面に着陸させる予定だった。

着陸場所は赤道付近で、そこならば着陸しやすく、建物も造れる。

建物は平屋の円筒形で、月面をえぐって設置する。

まず宇宙船を着陸させて、そこで2ヵ月間暮らす。
その間に、月面基地の建築をする者が地球からやって来る。

1965年7月に9名が到着して、月面をえぐった所に円筒形の住居を埋めつつ、電力を供給する携帯型の原子炉を設置する。

建物を埋める理由は、温度が均一である、断熱効果がある、カムフラージュの役目を果たす、放射線から身を守る、などである。

住居内では、空気は酸素とニトロゲン(窒素)の入った断熱タンクに入れられて、排泄した水分と二酸化炭素を元にして再利用される。

その後、さらに6名が増員されて、月面車や掘削機を使い始める。

プロジェクト・ホライズンの案は、後のソ連のミールやアメリカのフリーダムといった、宇宙ステーションの手本となった。

月へ向けて打ち上げるロケットの発射場所は、地球の自転速度は赤道付近が最も速くて、ロケットの推力を高めてくれるので、赤道付近が良い。

アメリカ陸軍はブラジルの某所を選び、発射施設を造ろうとした。

すでにアメリカ陸海軍は、フロリダ州のケープカナヴェラルにある宇宙センターから、人工衛星を打ち上げていた。

私は(アメリカ陸軍人として)プロジェクト・ホライズンの立案にあたったが、あのマンハッタン・プロジェクト(原発の開発計画)をしのぐ規模とあって、反対が多かった。

実は海軍にも、「海底に基地を造る」という計画があり、表向きは海底探査を目的にしていた。

本当はソ連の原子力潜水艦に対抗するためで、あるいは海底に出没する異星人の船を意識していたのかもしれない。

陸軍は必死に主張したが、宇宙開発は民間機関が行うことになり、NASAが担うことになった。

プロジェクト・ホライズンは頓挫した。

私は、(ケネディ政権の)ロバート・ケネディ司法長官に呼ばれた時、ロズウェル事件や異星人の話はしなかったが、「月面基地をソ連に先取りされると冷戦に負ける」と力説した。

その直後にケネディ大統領は、「1960年代の末までに、月に有人探査機を送る」と発表した。

私は「分かってもらえた」と思った。

ケネディとしては、陸軍に新たなマンハッタン・プロジェクト(大規模プロジェクト)をさせるわけにはいかなかったのだろう。

(2022年10月19日に作成)


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