(『ペンタゴンの陰謀』フィリップ・J・コーソー著から抜粋)
1962年に私は、バージニア州のフォートベルヴォア陸軍基地を訪れて、開発が進められている「移動式の原子炉」の進行状況を調べた。
(私の所属する)アメリカ陸軍は、宇宙船を開発するにあたって、推進システムには真っ先に原子力を考えた。
アメリカでは、核開発は民間の原子力委員会の手に委ねられたが、陸軍は原子炉の研究は続けて、移動式の原子炉を製造しようとした。
フォートベルヴォアの報告書を読んで知ったが、アメリカ陸軍は移動式原子炉の開発を行い、1962年初旬にワイオミング州のサンダンス・レーダー基地に1機を設置していた。
アメリカ製の移動式原子炉が初めて登場したのは、グリーンランドのキャンプ・センチュリーだった。
キャンプ・センチュリーは、表向きは陸軍の極地研究開発センターが実験を行っていることになっていたが、実はソ連やUFOを監視する拠点でもあった。
私が1950年代にホワイトハウスで働いていた頃、ネイサン・トワイニング中将らの(UFOの)諮問委員会は、UFOの情報収集をする基地を設けるようにアイゼンハワー大統領に働きかけていた。
当時はまだ監視用の人工衛星もなく、北極にも南極にもアメリカ軍基地はなかった。
監視用の施設は莫大な電力を消費するが、1950年代にフォートベルヴォア基地で原発の開発が進められて、地球上ならどこでも原発を設置できるようになった。
そして1958年に、キャンプ・センチュリーで原発の建設が始まった。
極秘扱いだったが、マスコミに嗅ぎつけられた。
そこで陸軍情報部は隠蔽工作を謀り、「科学的な情報収集である」とはぐらかした。
キャンプ・センチュリーでは、移動式の原子炉の組み立てや性能試験を行った。
原発の蒸気熱で地表の氷を溶かし、基地に水を供給する仕組みになっていた。
原子炉はわずか7日で完成し、1960年10月から63年8月まで稼働した。
その後は解体されて、保管された。
移動式原子炉は、やがて人工衛星や軍艦に使用されるようになった。
(2022年10月25日に作成)