(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ3』から抜粋)
ロナルド・レーガン政権は、中米諸国の軍隊を支援したが、その軍隊は強姦や拷問や殺人を日常的に行っていた。
1981~83年にグアテマラでは、政府軍がマヤ人の農民を10万人虐殺したといわれている。
だが、グアテマラ大統領のリオス・モントについて、レーガンは「彼は不当な非難を浴びている。誠実で責任感の強い人だ」と発言した。
1983年1月にレーガン大統領は、グアテマラへの武器売却の禁止措置を、解除しようとした。
議会が反発したため、イスラエルや台湾を経由して売却することになった。
アメリカは、ニカラグアでも非道を働いた。
ソモサ独裁政権をサンディニスタ革命軍が倒すと、残虐さで有名な国家警備隊の残党は、ホンジュラスのニカラグア国境付近に集結した。
残党は自らを「コントラ」と呼び、CIAの支援を受け始めた。
ウィリアム・ケーシーCIA長官は、コントラのために「中米タスクフォース」という組織を設立し、デュアン・クラリッジをCIAのラテンアメリカ支部長に就任させた。
1982年3月15日に、CIAはニカラグア人スパイを使って、ニカラグアとホンジュラスを結ぶ橋を爆破した。
だが、82年12月にアメリカ議会は、サンディニスタ政権を転覆するために政府がカネを出すことを禁じた。
そのため、CIAは手の込んだやり方を行う事にした。
まず、敵であるはずのイランに、高値でミサイルを密売する。
その取引で得たカネで、コントラを支援したのだ。
(※この闇の取引は暴露され、イラン・コントラ・ゲートと呼ばれる事になった)
CIAのコントラ支援は、麻薬密売人に仲介してもらった。
CIAはその見返りとして、アメリカ国内での麻薬密売に便宜をはかった。
CIAの支援により、コントラの兵力は1.5万人にまで拡大した。
これに加えて、CIAはグアテマラやエルサルバドルで傭兵を雇った。
この傭兵たちは、爆撃や地雷の敷設を担当した。
コントラは悪行の数々で有名となったが、レーガン大統領は「彼らの精神はアメリカ建国の父と同じ」と言った。
この発言を受け、カレッジ・リパブリカンズ(共和党を支持する大学生の連盟)はコントラ支持を訴えるビラを作って配った。
コントラのリーダーだった人物は、こう証言している。
「加入を拒んだ民間人は殺していたし、拉致した若い女性は昼夜を問わず強姦していた」
(2015.7.25.)