(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
オマール・トリホスがアメリカに暗殺されると、マヌエル・ノリエガがパナマ軍の最高司令官を継いだ。
彼は、当初は貧しい人々のために努力していた。
ノリエガの最重要プロジェクトの1つは、『新パナマ運河の建設』であり、その資金調達と建設には日本があたる事になっていた。
ノリエガは、こう書いている。
「レーガン政権の国務長官ジョージ・シュルツは、
ベクテル社の元重役だ。
国防長官キャスパー・ワインバーガーは、ベクテル社の
副社長だった。
ベクテル社は、新運河建設がもたらす何十億ドルもの収益を
望んでいた(自分たちが建設工事を受注するのを望んでいた)。」
ノリエガは、前任者のトリホスほどのカリスマ性も高潔さも備えてなかった。
やがて、汚職や麻薬取引の噂が広がった。
ノリエガは元々、アメリカCIAと連携する情報機関である『パナマ国防軍G2部隊』を率いる大佐として評判を上げた人物だ。
その立場を背景に、CIA長官ウィリアム・ケーシーと親交を深めていった。
CIAは、ノリエガを利用して作戦を進めた。
例えば、1983年のグレナダ侵攻では、カストロに事前に警告をする役をノリエガに頼んだ。
CIAが、コロンビアの麻薬カルテルに潜入した時も、ノリエガは手を貸した。
1984年までに、ノリエガは将軍に昇進し、パナマ国防軍のトップとなった。
この年にパナマシティを訪問したウィリアム・ケーシーは、空港に出迎えた現地のCIAトップに開口一番「あいつはどこだ? ノリエガは?」と聞き、親密さをうかがわせた。
ノリエガがワシントンを訪れた折には、ケーシーの自宅を訪れている。
ノリエガは、「CIAはアメリカ政府で最大の権力を持っている」と信じていた。
だから、CIAと仲良くすれば自分を守ってくれると確信していた。
ノリエガの悪評判は、1986年6月12日にニューヨーク・タイムズが「パナマの独裁者、麻薬密売で金儲けか」という記事を1面に載せると、決定的になった。
この記事は、「ノリエガ将軍は、アメリカとキューバの両方の手先となる二重スパイであり、G2に政敵のウーゴ・スパダフォラを斬首させ、パナマの麻薬取引を牛耳っている」と報じた。
ノリエガが米州学校のパナマ設置について、15年間の延長を拒否した時、彼の状況はいよいよ深刻になった。
ノリエガはこう語っている。
「我々にとって、米州学校は悩みの種だった。
我々の土地に、決死部隊の訓練場や高圧的な右派の軍隊など、
置きたくなかった。」
1989年12月20日に、アメリカ軍は「第二次大戦以来で最大規模」といわれる都市空爆を、パナマに行った。
多くの市民が、いわれのない攻撃を受けた。
世界中の国が、「国際法への違反だ」と非難した。
パナマは、アメリカになんの脅威も与えてなかった。
アメリカ支配層の思惑を、果敢に無視しただけだった。
ノリエガは、こう語っている。
「アメリカが1986年に発動し、89年のパナマ侵攻で終わった
政権打倒のキャンペーンは、パナマ運河の支配権をパナマが
持つことをアメリカが拒否した結果だった。
(レーガン政権の閣僚だった)シュルツとワインバーガーは、
大衆が無知なのをいいことに、私を打ち落とすプロパガンダ作戦を
練り上げた。」
アメリカがパナマ攻撃を正当化した理由の根拠は、ただ1人の男の存在(ノリエガ)だった。
それを根拠に、軍隊を送り込んで多くの人命を奪った。
攻撃を正当化するために、ノリエガは「邪悪な者」「麻薬取引をする怪物」などと性格づけされたのだ。
この侵攻のおぞましさに、私は何日もうつ状態に陥った。
知れば知るほど、パナマ侵攻はアメリカが帝国主義に逆戻りしている結果で、ブッシュ政権はレーガン政権よりもさらに一歩踏み込んだ姿勢で「目的のためなら戦争も辞さないこと」を世界に知らしめたと確信した。
パナマ侵攻は、イラクのような国を脅して服従させる目的もあったと思う。
デヴィッド・ハリスは、『深夜の敗走』の中でこう書いている。
「アメリカは、他国に侵攻してその国の支配者(ノリエガ)を
捕まえ、アメリカに連行して裁判を行った。
こんな事は、国家誕生から225年にして初めてのことだ。」
ブッシュ政権は、パナマ侵攻の違法性を隠すために、侵攻の一部始終をマスコミの目から遮断した。
激しく爆撃した地域は、3日間の立ち入り禁止として、その間に兵士たちが犠牲者を火葬して埋めた事実が発覚している。
チェイニー国防長官は、死者数を「500~600人」と言ったが、人権団体によれば「3000~5000人」と見積もられ、2.5万人が家を失った。
ノリエガはマイアミに連行されて、40年の拘禁判決を受けた。
この国際法違反に世界は激怒したが、アメリカ国内での報道は非常に限られていた。(つまり報道が規制された)
パナマにはアメリカの傀儡政権が復活し、アメリカは再び運河を支配した。
(2015.7.7.)