エルサルバドルでは極右勢力を後援し、
内戦になって7万人の死者が出る

(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ3』から抜粋)

アメリカが主導した残虐行為は、中米にある国エルサルバドルでも行われた。

エルサルバドルの兵士の多くは、アメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングか、パナマの「スクール・オブ・アメリカズ(米州学校)」で訓練を受けていた。

カーター政権とレーガン政権で駐エルサルバドル大使を務めたロバート・ホワイトは、議会で次のように証言している。

「過去50年にわたり、エルサルバドルは富豪と軍が結びついた政権に支配されてきた。

1979年にクーデターを起こした若い将校たちは、富豪と軍の結びつきを断ち切ろうとした。

そこにレーガン政権が介入し、極右勢力を支持したため、ARENAとロベルト・ダビッソン元少佐が台頭した。

ARENAは、ナチスなどをモデルとした暴力的な極右政党である。

その創設者と支援者は、亡命してマイアミに拠点を置いている。

マイアミにいる富豪のうち特に裕福な6人の「マイアミ・シックス」は、クーデターの陰謀を企て、ダビッソンに指示している。」

ダビッソンは、1980年に何千人も殺した暗殺団のボスである。

エルサルバドルでは1981年末に、エルモソテ村の住民767人が一度に虐殺された。

殺したのは、アメリカで訓練を受けた兵士たちだ。

レーガン政権は事実の隠蔽に動き、レーガン支持の新聞は「信憑性がない」と報じた。

レーガン政権は、エルサルバドルの警察や警備隊に関するアメリカ政府の文書を、故意に隠蔽した。

議会がエルサルバドルへの援助に反対するのを防ぐためだ。

(※アメリカは、自分が操りたい国では、軍や警察を訓練する(自分の手先にする)のを手口にしている。
訓練する中で手なずけていき、自分の意に沿わない政権ができると、軍や警察を裏から支援して軍事クーデターを起こさせる。)

カーターとレーガンの政権下で、エルサルバドルには60億ドル弱の援助が行われた。

その間には、破壊と殺戮が続き、死者は7万人に上った。

1980年代には、50万人ものエルサルバドル国民が(内戦から逃れるために)アメリカに移住しようとしたが、その大半は追い返された。

その一方で、ニカラグアから来る反共産主義者たちは、ほとんど全員の入国が認められた。

(2015.7.12.)


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