(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
『行政機構の改革法』は、1937年に提出されて、39年に成立した。
これは、大統領行政部の新設を認めて、補佐官6名を置く事を承認した。
そうして、財務省から予算局が大統領行政部に移った。
政策立案の能力の拡充をはかったのである。
元々この法案は、福祉と公共事業の2つについて新省を設置するはずだった。
しかし議会は、それを了承しなかった。
このため、ニューディール政策で生まれた機関はやがて解散となっていく。
1942~43年の事である。
1937年2月にフランクリン・ローズヴェルト大統領は、最高裁の改革法案を提出した。
これは、少し前にニューディール政策に違憲判決が出たためである。
この改革は、最高裁の判事を増やそうとするもので、議会は否決した。
しかし、この提出によって最高裁の判決に変化が出た。
法解釈の大きな変化が生まれ、「裁判所革命」とも呼ばれている。
(2013.7.22.)