(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1938年に、議会は保守化を始めた。
ニューディール政策は共産主義だ、との非難の声が高まった。
フランクリン・ローズヴェルト大統領は、39年1月の年次教書で、改革からの離脱を宣言した。
彼は、「ファシズムが世界で台頭する中では、防衛力の強化を急がねばならない」と述べた。
1938年の『公正労働基準法』が、最後のニューディール立法となった。
これ以後は、改革はなくなるが、財政は拡大していく。
そして、利益便宜のブローカー・スタイルが定着していった。
(財政の拡大は、軍備増強のためである。
そして第二次大戦後も戦時経済が続き、軍産複合体がアメリカでのさばっていく事になる)
1939年に民主党議員のワグナーは、「医療保険制度の導入」の法案を提出した。
しかし不成立に終わり、43年にも再提出されたが不成立となった。
黒人へのリンチを禁じる「反リンチ法」も提出されたが、南部議員の反対で不成立になった。
ニューディール政策の行き詰まりと1937年からの再不況は、ローズヴェルト大統領にとって危機であった。
彼は、対外問題に関心を切り替えることで、45年までの在位を可能にしていく。
(2013.7.22.)