(『大恐慌のアメリカ』林敏彦著から抜粋)
フランクリン・ローズヴェルト大統領は、産業界と労働界に対しては「協力して危機を乗り切ろう」と呼びかけたが、金融界へは厳しい態度をとった。
上院のペコーラ査問委員会は、金融界の大物を次々に喚問して、彼らの諸悪を暴いていった。
金融界の帝王だった2代目モルガンも喚問されて、泥棒のように扱われた。
1933年5月に『証券法』が成立したのは、ペコーラ委員会の活動の賜物だった。
『証券法』は、「連邦取引委員会」に証券発行の監督権限を与えて、株発行の際には情報公開を義務づけ、虚偽の情報をした場合は取締役に責任を負わすことにした。
ペコーラ委員会は、モルガン商会のパートナー達が過去2年間に全く所得税を払っていなかった事を明らかにし、『グラス・スティーガル法』の成立を後押しした。
『グラス・スティーガル法(銀行法)』は、1933年6月に発効したもので、「銀行と証券の分離」「連邦準備制度の強化」「預金者保護のための保険公社(FDIC)の設立」などを決めた。
FDICには、「政府による保険は機能しない」「不健全な銀行を助ける事になる」「自由な銀行制度への挑戦だ」といった批判が出た。
それでも35年に設立されて、銀行閉鎖の件数は劇的に減った。
『グラス・スティーガル法』は1935年に改訂されて、連邦準備の権限はさらに強化された。
金融政策の決定権は、連邦準備委員会を改組した『連邦準備制度の理事会』に移り、財務長官と通貨管理局長は理事会から外された。
しかし、連銀が直接に財務省から政府証券を買い入れる道は、開かなかった。
証券法、グラス・スティーガル法(銀行法)、1934年の証券取引法は、歴史上で初めてウォール街の規制を行った。
銀行制度における中央銀行のコントロール機能を確立し、預金者の保護を制度化した。
この改革は、その後はレーガン時代に変えられるまで金融制度の基礎となり、他のいかなるニューディール立法よりも成功するものとなった。
(2013.8.1.)