(『大恐慌のアメリカ』林敏彦著から抜粋)
1932年までに、大部分のアメリカの経済学者には、不況対策について合意が形成された。
それは、「政府は、赤字国債を発行して公共事業を行い、需要の創出と雇用の確保を図らなけらばならない」というものだ。
シメオン・リーランドは、「公共支出は景気の変動に合わせて調節するものであり、不況期には政府は赤字をためらってはいけない」と述べた。
これは、当時の『シカゴ学派』の総意を代表していた。
これに対してハーバート・フーヴァー大統領は、1932年5月にこう応えた。
「要請されている公共事業には、価値のないものもあり、納税者への負担を強いる。
すでに有意義な事業は行っている。」
この点については、32年の大統領選挙中のフランクリン・ローズヴェルト候補者はさらに徹底しており、彼はフーヴァーを「最悪の浪費政権」と批判した。
1931年6月末から10日間、経済についての大会議が行われた。
イギリスからジョン・メイナード・ケインズも参加して、活発な議論となった。
この会議では、『賃金の切り下げは、失業の解消に役立つか』も論じられた。
これについて、カーター・グッドリッチはこう述べた。
「例えば10%の賃金引き下げをした場合、雇用されている労働者の購買力を10%減少させる事になる。
つまり、消費が減少する。
賃金の切り下げは、万能薬ではない。」
この会議では、「不況の克服には、賃金の伸縮性や市場の動きにまかせる事が有効だ」との意見は、全く出なかった。
1932年1月にも大会議は行われ、白熱した議論の末に、『デフレーションを食い止めて経済を正常にするための提言』がまとまった。
提言の内容は、次のとおり。
①連銀の紙幣発行における裏付け資産を拡大して、政府証券とコマーシャル・ペーパーも対象に含める
②政府の国債発行と銀行の流動性のために、公開の市場操作を行う
③RFC(復興金融公庫)は、不適格な資産を持つ銀行にも貸付を行う
④政府の支出を増やす
⑤政府部門内の賃借は、減らすかキャンセルする
⑥関税などの貿易における障壁は、他国との交渉に委ねる(貿易を推進する)
この提言に対して、アルヴァン・ハンセンは疑義を申し立てた。
「イギリスとドイツの歴史を通じて、公共事業は解決策にならないと判断されたではないか。
公共事業は、莫大な浪費を生じてしまうし、支払いをしなければならないので経済に悪影響を及ぼす。」
上のデフレを止めるための提言は注目を集め、フーヴァー政権の政策に影響を与えたといわれている。
①の政府証券を含める事は、グラス・スティーガル法で実現した。
②と③も行われて、④も若干は行われた。
(2013.8.27.)