(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
セオドア・ローズヴェルトは名門出で、ハーバード卒業後ただちに政界に入り、米西戦争では義勇軍を組織して従軍した。
彼はNY州知事になり、企業課税、職員の労働時間規制法、工場安全検査法を推進した。
(労働者の過酷な長時間労働を減らし、工場の不衛生で危険な環境を改善させようとした)
このため、NY州の共和党は彼を排除するために、マッキンリー政権の副大統領に押し込んだ。
その後、1901年9月にマッキンリー大統領が暗殺されたため、42歳という史上最年少で大統領に就任した。
セオドア・ローズヴェルトは、J・P・モーガンらの会社を『シャーマン反トラスト法』に違反しているとして告発し、鉄道会社の合同を阻止した。
さらに、45社にのぼる大企業を反トラスト法違反で告発し、「トラスト・バスター」の名を得た。
国民は喝采を送った。
彼は、「問題は企業の規模ではなく、公益に反するかどうかだ」と考え、この観点から取り締まった。
1903年に、企業を調査する会社局を設置した。
企業は帳簿を提出し、問題が見つかれば会社局の助言によって是正するシステムとなった。
1902年には炭田ストライキに介入し、「双方の代表を官邸に招き、調停をはかる」という、先例のない措置をとった。
彼は炭鉱を接収すると企業を脅し、賃上げと労働時間の短縮を勝ち取った。
1904年の大統領選挙では、セオドア・ローズヴェルトは大差で勝利して、再選を果たした。
そして、鉄道料金の設定をICCにゆだねる『ヘッバーン法』を、06年に成立させた。
消費者保護でも、不当表示を禁止する『食品・薬品法』を、06年に成立させた。
国民の健康を守る連邦規制は、画期的であった。
だがこれは、品質管理をてこに、大企業の独占を可能にした。
自然保護でも画期的な前進をもたらし、議会の意向を無視して強行して、国有林を増やし53の保護区をもうけた。
セオドア・ローズヴェルトは革新主義の運動を支持して、活発な言動で国民を興奮させた。
官邸に初めて記者室をもうけて、政府の権限拡大に役立てた。
これは、現代的な政府の出発点となった。
後任にはウィリアム・タフトを指名し、タフトは当選した。
(2013.4.6.)