(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
ウィリアム・タフトは、連邦の検事・判事をつとめた法律家で、初代のフィリピン総督も務めた。
彼は保守的で、1909年に大統領に就任すると、これまでの枠組みの中で事を処理しようとした。
関税引き下げを公約にしたが、妥協してしまった。
だが、所得税をもうける修正案には同意した。
また、前任のセオドア・ローズヴェルトを上回る、70件以上の反トラスト法訴訟を行い、反独占の政策を推進した。
彼は所属する共和党の革新派から、「革新的でない」とされてしまい、共和党を保守派と革新派に分裂させてしまった。
(革新派は、革新党を立ち上げることになる)
(2013.4.6.)