パナマを独立させて、パナマ運河を建設し支配する

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

1901年にセオドア・ローズヴェルト大統領は、「中米での運河については、対等の権限を持つ」としていた英国との条約を改正し、単独での権利を認めさせた。

そして、運河建設の位置をコロンビアのパナマに決め、コロンビア政府と交渉した。

しかし、交渉はうまく行かなかった。

セオドア・ローズヴェルトは、運河建設会社が画策した「パナマ独立のための革命計画」を認めた。

そして1903年11月に、パナマで、コロンビアからの独立革命が起こった。

米軍の介入で、パナマの独立はすぐに成功した。

米国は、誕生したばかりのパナマ政府に、運河を米国が支配することを認めさせた。

工事が始まり、パナマ運河は1914年に開通した。

(2013.4.21.)

(『総図解世界史』から抜粋)

大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河の建設計画は、19世紀末にスエズ運河の建設に成功したフェルディナンド・レセップスが参入したことで、本格化した。

しかしパナマ運河の建設は、スエズ運河以上の難工事で、レセップスは撤退の屈辱を味わった。

アメリカでは、南北戦争によって北部の産業資本が、経済支配を完成した。

その後、大西洋と太平洋を結ぶ運河の必要性が、ますます高まった。

さらにアメリカは、中南米諸国への帝国主義的な進出を本格化させたために、軍事的にも運河が必要となった。

レセップスの撤退後の運河計画は、ニカラグア案とパナマ案の2つが検討され、ニカラグア案が優勢だった。

ところが、カリブ海のマルティニック島で火山の大爆発が起き、パナマ案に決定した。

運河の建設地帯は、コロンビア領内にあった。

コロンビア政府は、運河の建設を拒否した。

するとセオドア・ローズヴェルト大統領は、パナマの独立運動を支援し、軍事力でコロンビアから独立させてしまった。

運河建設は開始したが、パナマ運河は3つの水門を持つ、複雑な構造が必要だった。

労働者たちは、過酷な自然環境と疫病に苦しめられた。

運河は、10年の年月をかけて、1913年に完成した。
14年から営業を開始した。

(2013.7.10.)


アメリカ史 1900年~第一次大戦まで 目次に戻る