セオドア・ローズヴェルトの外交

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

米国は、「中国の門戸開放をするべきだ」と宣言し、中国の植民地化に反対した。

米国には、「中国の門戸開放をして、自由競争になれば、世界一の生産力を誇る米国が最大のシェアをとれる」というもくろみがあった。

日露戦争では、セオドア・ローズヴェルト大統領は日本を支持した。

戦後に日本は満州の支配を進めたが、米国は「満州は重要ではない」と考えており、それを見逃した。

1907年には、米艦隊を日本に訪問させて、力を見せつけた。

翌08年には、日本と秘密協定を結んだ。

これは、フィリピンは米国、満州は日本が支配するのを、認め合うものだった。

カリブ海の国々は、ヨーロッパ列強の干渉をうけており、1902年にはベネズエラが、04年にはドミニカが攻撃されていた。

ローズヴェルト大統領は1904年末に、「カリブ海には、米国のみが警察権を行使できる」と宣言した。

これによって、武力での覇権政策が確立した。

そして早速ドミニカに対して、『債務を肩代わりするかわりに、関税収入を管理する』という協定を承認させた。

(※パナマの独立を計画・実行した件は、別のページに書いてあります)

(2013.4.21.)


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