(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1912年における南部住民の資産は、全国平均の2分の1だった。
収入も、全国平均の3分の1と貧しかった。
南部はプランテーション制度のために農業改良が行われず、停滞を続けた。
南部は民主党の支配下にあり、黒人の投票権の剥奪を推進した。
白人達は、識字テストや人頭税の納付などを投票資格とする事で、黒人を排除した。
黒人たちの指導者だったブッカー・T・ワシントンは、「黒人は技能を身に付けて、勤勉によって自立をしよう」と説いた。
1900年以後、若く教育のある黒人たちは政治行動を主張し、ウィリアム・デュボイスは05年に「ナイアガラ運動」を組織した。
さらにデュボイスは、1909年に『全国黒人向上協会(NAACP)』を設立した。
(2013.3.29.)