ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達し、掠奪し植民を始める

(以下は『世界歴史大系 アメリカ史1』からの抜粋
2020年3月21日に作成)

985年頃に、アイスランドに住むヴァイキングは、グリーンランドに進出した。

彼らはさらに西方を目指し、ニューファンドランド(現在のカナダ東部沿岸部)などに植民を試みたが、失敗に終わった。
その遺跡が残っている。

オスマントルコ帝国の力が強くなると、ヨーロッパ人は地中海を使ってアジアと交易するのが難しくなった。

そこでヨーロッパ人は、海上経由で(アフリカ大陸をぐるっと回る航路で)アジアと交易しようとした。

こうして大航海時代が始まった。

大航海時代には、イスラム教に対するキリスト教徒の危機感と、新たに生まれたキリスト教のプロテスタント派と従来のカトリック派のせめぎ合いが、大きく影響した。

クリストファー・コロンブスは、ジェノヴァ出身の冒険家で、西方航路で(新しい航路で)アジアに行こうとした。

彼は、アジア大陸への途中にアメリカ大陸があるなんて考えもしていなかった。

コロンブスは航海の援助をポルトガル王に依頼したが断られ、スペイン王の援助を受ける事になった。

1492年8月に、クリストファー・コロンブスは出港し、中国を目指した。

西に進んで、33日かけて大西洋を越え、現在のバハマ諸島、キューバ、ドミニカに到達した。

コロンブスはそこをインドの一部だと勘違いしたため、住民を「インディアン」と名付けた。

1499年にフィレンツェ人のアメリゴ・ヴェスプッチが、コロンブスが到達した地について、大陸であると記した航海記を著した。
そのため彼の名にちなんで、その大陸は「アメリカ」と呼ばれるようになった。

クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸への到達後、そこを新大陸と見なしたヨーロッパの権力者たちは、スペインとポルトガルが「トルデシリャス条約」を結んで互いの勢力圏を決めた。
これによりアメリカ大陸はブラジルを除きスペイン圏となった。

ヨーロッパ人からインディアンと名付けられたアメリカ大陸の住民たちは、3万~2万5千年前にシベリアから北アメリカに移住してきたと考えられる。

その頃は海面が低くて、陸続きになっていたから、移住しやすい環境だった。

移住した人々は、各地に分散し、異なる環境に適応していった。
そのため多様な文化や言語が生まれた。

アメリカ大陸における農耕は、メキシコとペルーが最も早かった。

北アメリカでは前2000年ころに南西部で農耕が始まり、とうもろこし、豆、カボチャが栽培された。

北アメリカは中南米に比べて発達が遅れ、農耕と共に狩猟や採集が多く行われた。

アメリカ大陸の住民たちは、ヨーロッパ人が入植を始めてからも、キリスト教を受け入れなかった。

彼らがヨーロッパのもので関心を示したのは、道具と武器だった。

ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住(植民)を始めると、天然痘、ハシカ、チフスなどが一気にインディアンに感染した。

彼らはこれらのウイルスに全く免疫がなかったため、大量に死者が出た。

(以下は『人物アメリカ史(上)』ロデリック・ナッシュ著から抜粋
2026年1月28日に作成)

🔵イギリスの植民

クリストファー・コロンブスと同じくジェノヴァ生まれのジョン・カボットは、1497年にアメリカ大陸に向けて航海したが、ニューファウンドランド島へ到達し、イギリス国旗をかかげた。

(※カボットはイギリスに移住して、イギリス王室の後援で航海した)

1年後に再びアメリカ大陸を探索した彼は、デラウェアとチェサピーク湾を発見した。

彼を派遣したイギリス政府は、この報告を受けてもそれから100年ほど植民しなかった。

1580年代にイギリス人のウォルター・ローリーが植民を始めたが、ノース・カロライナ沖のローノーク島への植民は全員が住民に殺されるか連行されるという悲劇となった。

ヴァージニアに造ったジェームズタウン植民地は、何とか生きのびた。

🔵フランスの探検

フランスでも、ジェノヴァ出身のジョヴァンニ・ダ・ヴェラツァーノが、フランソワ1世の命令でアメリカ大陸を探索した。

ヴェラツァーノは、フロリダからニューファウンドランドまでの海岸線を最初に航海したヨーロッパ人となった。

1530年代にジャック・カルティエは、セント・ローレンス川を上流までさかのぼって、カナダの領有権をフランスにもたらす探検をした。

カルティエら探検家たちは、黄金の国を求めて探検したのだが、それは見つからなかった。

🔵ポルトガルの探検

ポルトガルでは、1498年にヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸を廻ってインドに行く航路を開拓した。

これによりポルトガルはアジア進出で先行した。

1513年にヴァスコ・ヌニェス・デ・バルボアは、アメリカ大陸のパナマ地峡を東から西に横切って、アメリカ大陸を通って太平洋に到達した初のヨーロッパ人となった。

🔵スペインの探検と掠奪

スペインでは、コロンブスの航海仲間だったホアン・ポンセ・デ・レオンが、フロリダに着いてマングローヴの沼地を発見した。

その後、エルナン・コルテスが1519年に、フランシスコ・ピサロが1531年に、アメリカ大陸に行き、住民たちから黄金を強奪した。

スペインはアメリカ大陸に次々と遠征艦隊を送り、財宝探しをした。

1527~28年にパンフィロ・デ・ナルヴァエスは、メキシコ湾沿いに進みテキサスへ到達した。

ナルヴァエスらはインディアン(住民)を案内役にして探検したが、生きて帰ったのは2人だけだった。

そううちの1人、ヌニェス・カベサ・デ・バカは、帰還すると黄金の都があったとの嘘を話した。

これを聞いたキューバ監督をするエルナンド・デ・ソートは、1539年にフロリダに上陸し、各地を探険してオクラホマまでたどり着いた。

同じ頃、フランシスコ・バスケス・デ・コロナードも黄金の都を求めて探検し、アリゾナに入りグランドキャニオンを発見した。

エルナンド・デ・アラルコンは、カリフォルニア湾を北上し、コロラド川へ入った。

ホアン・ロドリゲス・カブリリョはサンフランシスコ湾の北まで航海した。

上記のスペイン王室に雇われた探険家たちは、黄金のみを求めて探検したため、アメリカ大陸の肥沃な土地には目がいかなかった。

逆にイギリスは肥沃な土地に目を付け、植民を目指すようになった。


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