(『世界歴史大系 アメリカ史1』から抜粋)
985年頃に、アイスランドのヴァイキングは、グリーンランドに進出した。
彼らはさらに西方を目指し、ニューファンドランド(現在のカナダ東部沿岸部)などに植民を試みたが、失敗に終わった。
その遺跡が残っている。
オスマントルコ帝国の力が強くなると、ヨーロッパ人は地中海を使ってアジアと交易するのが難しくなった。
そこでヨーロッパ人は、海上経由で(アフリカ大陸をぐるっと回る航路で)アジアに行こうとした。
こうして大航海時代となった。
大航海時代には、イスラム教に対するキリスト教の危機感と、新たに生まれたキリスト教・プロテスタント派と従来のカトリック派のせめぎ合いも、大きく影響していた。
クリストファー・コロンブスは、ジェノヴァ出身の冒険家で、西方航路で(新しい航路で)アジアに行こうとした。
彼は、途中にアメリカ大陸があるなんて考えもしていなかった。
航海の援助をポルトガル王に依頼したが断られ、スペイン王の援助を受ける事になった。
1492年8月に、クリストファー・コロンブスは出港し、中国を目指した。
西に進み、33日かけて大西洋を越え、現在のバハマ諸島、キューバ、ドミニカに到達した。
クリストファーはそこをインドの一部だと勘違いして、住民を「インディアン」と名付けた。
1499年にフィレンツェ人のアメリゴ・ヴェスプッチが、アメリカが大陸であると記した航海記を著し、そのため彼の名にちなんで「アメリカ」と呼ばれるようになった。
クリストファー・コロンブスのアメリカへの到達後、そこを新大陸と見なしたヨーロッパでは、スペインとポルトガルが「トルデシリャス条約」によって互いの勢力圏を決め、アメリカ大陸はブラジルを除きスペイン圏となった。
ヨーロッパ人からインディアンと名付けられたアメリカ大陸の住民たちは、3万~2万5千年前にシベリアから北アメリカに移住してきたと考えられる。
その頃は海面が低くて、陸続きになっていたから、移住しやすい環境だった。
移住した人々は、各地に分散し、異なる環境に適応していった。
そのため多様な文化や言語が生まれた。
アメリカ大陸における農耕は、メキシコとペルーが最も早かった。
北アメリカでは前2000年ころに、南西部で農耕が始まり、とうもろこし、豆、カボチャが栽培された。
北アメリカは中南米に比べて発達が遅れ、農耕と共に狩猟や採集が多く行われていた。
アメリカの人々は、ヨーロッパ人が入ってきても、キリスト教を受け入れなかった。
彼らがヨーロッパのもので関心を示したのは、道具と武器だった。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に入ってくると、天然痘、ハシカ、チフスなどが一気にアメリカ住民に感染した。
アメリカ住民はこれらのウイルスに全く免疫がなかったため、大量に死者が出た。
(2020年3月21日に作成)