イギリス人がアメリカを植民地にする

(『世界歴史大系 アメリカ史1』から抜粋)

イギリスはプロテスタントの国になり、スペインのカトリックと対立した。

そこでイギリス船はカリブ海で、スペイン船を襲い財宝を奪った。

1500年代~1600年代の半ばまでは、西インド諸島での砂糖生産による儲けが、アメリカ大陸への進出よりもはるかに大事だった。

イギリスは植民地活動を、株式会社を作って共同経営するスタイルを創り上げた。

そして1607年にヴァージニアへの入植に成功する。

1634年にはその北のメリーランドにも入植した。

ヴァージニアでは、1612年にタバコの栽培が始められ、これが大ヒット商品となった。

タバコが主要生産品になり、18~22年に3570人が移住したが、大半が年季契約の奉公人で、年季がおわると自由になり、土地が与えられた。

しかしこの頃は、4人中の3人は1年以内に死んでいた。

このような過酷な状況のため、本国から自立する傾向が芽生え、自分たちで議会を開き、行政と司法を行い始めた。

1620年に、ピルグリム(イギリスの清教徒たち)はニュー・イングランドに移住した。

この移住は、船上で交わしたメイフラワー誓約と共に、アメリカ社会の創設を象徴する出来事として記憶されてきた。

ピルグリムは、ピューリタン(清教徒)の中でも過激派で、自分たちで純粋な教会を建てようとしたが抑圧されたため、オランダに移住した。

そしてアメリカに教会を建てる事を決意し、アメリカに渡ってきたのである。

彼らはその船上で、契約に基礎をおく政治団体として誓約した。

そこから近いマサチューセッツに、1630~40年に2万人のピューリタンが移住した。

マサチューセッツでの特徴は、家族で移住してきた事。

ここでは個人では土地を得られず、目的を同じにする集団が集まってタウンというものを設立し、そのタウンに土地が与えられた。

その後、コネティカット、ロードアイランドにもイギリス人が入植した。

この頃には王の勅許により、信教の自由と、総督を住民が選出する事が認められた。

1609年に、オランダ東インド会社に雇われたヘンリー・ハドソンは、彼の名を付けられることになるハドソン川を探検し、そこをオランダ領にした。

このオランダ領には、様々な国の人が入植したのが特徴である。

そこに1664年に、イギリス軍が侵攻してきて、占領した。

そしてニュー・アムステルダムを、イギリス海軍のトップだったヨーク公にちなみ、ニュー・ヨークと改名した。

占領したイギリスは、ニューヨークの住民に居住と財産保有を保証し、多くの人種を抱えたまま発展してゆく。

ニュージャージーは、ニューヨークから分割して生まれた。

当時にイギリス帝国が、アメリカの住民に自由や自治の権利を与えたのは、なかなか入植の志願者がおらず、良い条件の所に入植者が集中したためである。

ペンシルヴァニアは、ウィリアム・ペンを中心にして生まれた。

ウィリアムはクエーカー教徒(プロテスタントの一派)で、領主になった。

クエーカー教徒は絶対的平和主義で、徴兵を拒否した。

ここでは、クエーカー教徒にとどまらずあらゆる宗教に寛容な信教の自由と、政治参加の自由を理念に、法を作成した。

ウィリアム・ペンは、フィラデルフィア(ギリシャ語で兄弟愛の意味)を建設した。

1688年にイギリス艦隊は、スペインの無敵艦隊を破った。

これにより、イギリスの海外進出が加速した。

1600年代の後半は、人口が増えた白人とインディアン(アメリカ大陸の先住民)が戦いを始めた時期である。

だが、インディアンは各地に散らばっており、それそれの部族の人数も少なく、各個撃破されていった。

この時期は、イギリス本国で名誉革命が起こり、その影響がアメリカでも起きて、カトリックとプロテスタントが対立して白人同士の内乱も生まれた。

インディアンは白人の持つ布を気に入り、たくさん買ったが、そのために自ら布を作らなくなり、白人社会への依存を深めた。

さらに白人から買った酒で身体を痛めた。

さらに、白人が欲しがる毛皮を集めるため、大量に狩りをし、そのために動物が減り、生活が苦しくなった。

また、白人から買った銃で、部族間の争いが酷くなった。

アメリカのイギリス領で、アフリカ大陸から連行されてくる黒人奴隷が、白人の奉公人よりも多くなったのは、1690年代頃からである。

これは、白人の奉公人の数よりも需要が多くなった事と、黒人奴隷が西インド諸島に供給され尽くして、余りが出てきたからだった。

イギリス植民地のサウスカロライナは、コメが輸出品で、黒人奴隷の数が白人数を上回った唯一の植民地である。

他の地域は白人数のほうが上だった。

イギリスでは、1705年に包括的な奴隷法が制定された。

アメリカ大陸では、西インド諸島のように大勢のアフリカ人奴隷が1つのプランテーションで働く事は少なかったため、奴隷たちはコミュニティを作りづらく、キリスト教に改宗するなど白人化した。

(2020年4月1日に作成)


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