(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
ロズウェル事件は、長年にわたって秘密にされた。
スタントン・フリードマンは言う。
「憶えておかなければならないのは、1978年当時は、ロズウェル事件は重要な出来事と認識されていなかったことだ」
1978年にフリードマンは、この事件の詳細を暴露し始めた。
1947年7月の第1週に、アメリカのニューメキシコ州ロズウェル近郊の牧場主の敷地内に、物体が墜落した。
牧場主の名前は、W・W・ブレイゼル。
ブレイゼルは、墜落した物体の残骸をトラックに積んで、チャベス郡の保安官事務所に届けた。
保安官のジョージ・ウィルコックスは、ロズウェル陸軍飛行場に報告した。
すると、情報将校のジェシー・マーセル少佐と、広報官ウォルター・ホートがエリア51からやって来た。
7月8日に、ロズウェルのラジオ局KGFLのアナウンサーをしているフランク・ジョイスの許に、ロズウェル陸軍飛行場から電話が入った。
かけてきたのはホートで、「重要なプレスリリース原稿を持っていくので、読み上げてくれ」とのことだった。
ほどなくホートがKGFLに来て、原稿をジョイスに渡した。
原稿の内容は、こうだった。
「空飛ぶ円盤の噂は多くあるが、ロズウェル陸軍飛行場は地元の牧場主の協力で、幸運にも1機を入手した。
その円盤は、先週に牧場に着地した。
牧場主の家には電話が無かったため、保安官事務所と連絡が取れるまで、円盤を保管していた。
円盤は軍に回収され、詳しく調べられた後、マーセル少佐によって上位の司令部へと貸し出された。」
この内容は、午後には新聞に掲載された。
この原稿をホートが持ってきた3時間後に、再びホートはKGFLに来た。
そして「最初のプレスリリースは誤りで、墜落したのは気象観測用の気球だった」という原稿をジョイスに渡した。
証拠として、マーセルが気球のそばでポーズを取っている写真まで添えられていた。
2番目のプレスリリースが出されると、事件はしだいに忘れ去られ、それから30年以上も公の場で触れる者は1人もいなかった。
1978年にスタントン・フリードマンとビル・ムーアが、ロズウェルに来て人々に質問し始めるまでは。
フリードマンとムーアの調査で判明したのは、「気球の墜落ではなかった」という事だ。
大勢の軍人がロズウェルに来たことや、第一発見者のブレイゼルが1週間近く拘束されたこと、憲兵が大きな箱と木枠を軍用トラックに積み込んだこと、が分かった。
地元の検死官は、「密閉することのできる、子供サイズの棺桶をいくつか用意してほしい」との電話を受けている。
町の男たちは、「目撃した事をしゃべったら、連邦刑務所行きだ」との脅しをうけていた。
目撃者の大半は、墜落現場(複数あった)で円盤の形をしたものを見ており、子供サイズのヒトに似た生物を見ていた。
その生物は、大きな頭と大きな楕円形の眼をしており、鼻はなかった。
1980年にフリードマンとムーアの調査に基づいた『ロズウェル事件』が出版された。
すると、新たな証言が次々に出始めた。
並外れた飛行能力を持つ2つの物体が探知されたのは、1947年7月の第1週だった。
この物体は、ときおり空中静止してから、また前方に飛んでいた。
カートランド空軍基地の司令官は、ケニー・チャンドラーというパイロットに、「出撃してその物体を追跡しろ」と命じた。
チャンドラーが捜索し始めて数時間後に、物体の1つはロズウェルに墜落した。
統合参謀本部は、事態の処理を統括し、物体を回収した。
その物体は尾部も翼もなく、胴体は円形で、てっぺんにドーム状のものがのっていた。
1994年に機密解除された陸軍情報部(G-2)の覚書では、その物体は「空飛ぶ円盤(フライング・ディスク)」と呼ばれている。
その円盤には、地球で造られた事を示す証拠が残されていた。
機体内部のリング状の構造物に、ブロック体のロシア語のキリル文字の押印、もしくはエンボス加工が施されていたのだ。
これにより、ドイツ空軍のために働いた優秀なドイツ人エンジニアが、ソ連にいると判明した。
アメリカ、イギリス、フランスと同様に、ソ連もドイツ人科学者を戦利品にしていたのだ。
この円盤は、アメリカで最も機密度の高い軍事施設の上空を飛ぶことに成功していた。
アメリカ軍の自信は根こそぎ覆された。
『空中静止と前進をくり返せる技術』があれば、アメリカのレーダー網を欺くことができる。
いつでもアメリカを攻撃できる。
ニューメキシコ州には、ホワイトサンズ性能試験場があり、弾道ミサイルの実験を行っていた。
ロスアラモス国立研究所は、かつて原爆を開発した施設で、今は水爆を開発中だった。
そしてロズウェル陸軍飛行場は、原爆投下が可能な長距離爆撃機を擁する唯一の空軍基地だった。
さらに、アメリカではまだ知られていなかったが、ロスアラモス国立研究所のクラウス・フックスは、原爆の設計図を盗んで、ソ連に渡していた。
ロズウェル事件の後、アメリカにいるドイツ人科学者が呼び出され、尋問を受けた。
得られた証言から、「かつてナチス・ドイツの航空技師だった、ヴァルターとライマールのホルテン兄弟が、ソ連のために働いているらしい」と判明した。
ホルテン兄弟は、「ホルテンHo229」や「ホルテンⅨ」などの全翼機(尾翼のない飛行機)を開発していた。
スターリンは、ホルテン兄弟を手に入れてはなくても、設計図などを手に入れている可能性があった。
ロズウェルに墜落した円盤は、知られているテクノロジーより進んでいた。
なぜあれほど早く動くのか? どうやってあれほどのステルス性を持ちえたのか?
円盤は、陸軍のレーダーのスクリーン上にほんのいっとき現れた後、突如して消えていた。
統合参謀本部は、G-2直属の部隊に、『ハラス作戦』と呼ばれる極秘プロジェクトを指示した。
これは、円盤のテクノロジーがどこから来たのかを突き止める作戦だった。
何百人ものCIC(陸軍防諜部隊)の隊員が、ドイツに派遣された。
この作戦は、『アルソス作戦』以来で最も緊迫した作戦だった。
(アルソス作戦とは、第二次大戦中の連合軍の作戦で、ヒトラーの核技術者と核プログラムに関する情報を集めるのが目的だった)
ハラス作戦の詳細は、300ページ以上もあるG-2文書で明らかにされている。
1994年に機密解除されたが、そこでは円盤テクノロジーが説明されている。
「極めて優れた操作性と、ほぼ完璧に空中静止する能力。
ドーム状に盛り上がった楕円形、または平円形の形状。
高速移動によって、一瞬のうちに姿を消す能力。
2機以上で飛ぶ際は、ただちに互いを接近させ、密集隊形をつくれる。
電子コントロールあるいはリモート・コントロールによって、マニュアル操作されている事を示唆する、すぐれた回避力。」
ホルテン兄弟について、かつてはメッサーシュミットのテストパイロットだったフリッツ・ヴェンデルが信憑性の高い証言をした。
「終戦時には、ホルテン兄弟は東プロイセンのハイリンゲルバイルで円盤に似た形の飛行機を開発していた。
半月のような形で、長さは10m。
1人のパイロットが腹這いで操縦するもので、上昇限度は3657m。」
ゲオルグ教授からも証言を得た。
「最新型のホルテンは1人以上を収容でき、ジェットエンジンではなくロケットエンジンが用いられて、時速1930kmで飛行できた」
ヴェンデルは「ジーメンス・ウント・ハルスケ社のベルリン工場で、無線操作の実験が行われていた」とも証言した。
ヴァルター・ジーグラーというロケット技師は、「ホルテン兄弟はソ連で働いている可能性が高い」と意見を述べた。
捜索開始から半年後の1948年3月12日に、ホルテン兄弟が見つかった。
アール・S・ブラウニング少佐の覚書には、こう書かれている。
「ホルテン兄弟は発見され、アメリカの捜査機関の尋問をうけている。
『ソ連軍はドイツでホルテンⅨの設計図を発見した可能性が高い』と、ヴァルター・ホルテンは考えている。
『ドイツが開発した全翼機を元に、ソ連が円盤を造った可能性は高い』とヴァルター・ホルテンは考えている。」
ある覚書には、「ホルテンⅩ」や「ホルテン13」という言葉も出てくる。
だが2011年現在でも、それ以上は機密情報であり続けている。
(2019年1月29日&2月3日に作成)