(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
ロズウェル事件には、謎めいた人物が何人も登場するが、CIAの初代長官ロスコー・ヒレンケッター少将もその1人だ。
ロスコーは、1947年5月1日から50年10月7日までCIA長官を務め、その後は海軍に復帰している。
奇妙なのは、ロスコーは50年代後半に海軍を退役した後、『空中現象調査委員会』というUFO研究グループの理事になっている事だ。
彼はロズウェル事件を経験し、UFOの存在を認識していた。
ロスコーは1960年2月には議会に現われ、上院の航空宇宙科学委員会でこう証言した。
「裏では空軍の高官が真剣にUFOのことを心配している。
それなのに国民はUFOはナンセンスなものと信じ込まされている。
空軍は事実を隠すため、関係者を黙らせている。」
ロスコー・ヒレンケッターの後を継いで1969年に『空中現象調査委員会』の委員長になったのは、ジョゼフ・ブライアン3世だ。
ジョゼフは、CIAの初代政治戦および心理戦の主任だった。
彼の任務内容は、2011年現在も機密扱いになっている。
ジョゼフは、元CIA高官のフランク・ウィズナーが1965年10月29日に自殺した時、フランクとハンティングに出掛ける予定だった事でも知られている。
ソ連は、1940年代からフルシチョフが失脚するまで、UFO情報を全く公開しなかった。
それがブレジネフが最高指導者になると、UFOの記事が現われ始め、1966年には国営通信社「ノーボスチ」からも記事が発表された。
その記事では、モスクワ航空大学のフェリックス・ジゲル博士が「UFOは実在する」と語っていた。
1968年には、モスクワに新設された『全連邦航空宇宙委員会のUFO部門』の議長に、ポルフィリ・スロリャロフ空軍大将が任命された。
ソ連が公式にUFO委員会を持ったのである。
ジム・フリードマンは、EG&Gに雇われてエリア51で働いた人だが、こう証言する。
「1960年代の中頃、UFOは一大事件だった。
UFOの1つが、ライト・パターソン空軍基地に持っていかれ、そのあとに(機密度の高いエリアである)核実験場に移されたという噂を耳にしたんだ。
その核実験場とは、ネヴァダ核実験場のエリア22という事だった。
ある日、上司にその噂をどう思うか訊いた。
すると『そういう話は君の口から聞きたくない。君がこの仕事を続けたいなら話さないほうがいい』と言われた。」
(2020年7月22日に作成)