(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
私が18ヵ月にわたってインタビューしたある男性は、EG&G社の精鋭技術者の1人だった。
(※翻訳者のあとがきによると、この人物はアルフレッド・オドネルらしい)
以下は、彼の証言である。
1947年7月に起きたロズウェル事件では、UFOの墜落場所は2ヵ所あり、複数の遺体も回収された。
もっとも遺体は異星人ではなく、モルモットにされた人間だった。
身長は150mに満たず、巨大な頭に大きすぎる目。
そして飛行士のうち2人は、昏睡状態ではあったが、まだ息があった。
回収された空飛ぶ円盤の残骸と飛行士は、オハイオ州のライト・フィールド航空基地(後のライト・パターソン空軍基地)に移送され、1951年までそこに保管された。
51年にネヴァダ州のネリス訓練試験場に移され、EG&G社の精鋭技術者グループに引き渡された。
円盤の残骸の管理を任されたのは、原子力委員会だった。
そして原子力委員会は、EG&Gに白羽の矢を立てたのである。
ネヴァダ核実験場のすぐ外側、エリア12とエリア15の北端から9km北に行った場所にある秘密施設で、EG&Gの5人のエンジニアが研究を始めた。
5人は、「このプロジェクトは、マンハッタン計画(原爆開発計画)以来の最重要機密であるため、当時と同じ責任者が指揮を執る」と告げられた。
その責任者とは、ヴァネヴァー・ブッシュだった。
このプロジェクトは、「S-4」または「シグマ・フォー」と呼ばれた。
円盤の内部には、ロシア語の文字がリング状に刻印、あるいはエンボス加工されていた。
この飛行機がなぜ「ホバー・アンド・フライ」(空中静止と前進)を繰り返せるのかは、手助けを命じられたペーパークリップ作戦のドイツ人科学者でさえ分からなかった。
そこで5人のエンジニアは、「リバース・エンジニアリング」を行った。
ばらばらに解体して分析し、もう一度組み立てるのだ。
問題はもう1つあり、子供サイズの飛行士たちだ。
5人のエンジニアは、次のように告げられた。
「飛行士のうち2人は、昏睡状態だがまだ生きている。
彼らは直立状態で生命維持装置である円筒形の水槽(その中にはゼリー状の物質が入っていた)に入っている。
時折、彼らは口をきき、何かを話そうとしている様に見えるだろう。
しかし彼らの意識は失われている。」
飛行士たちは13歳くらいに見え、巨大な眼をしていた。
5人は次のような説明を受けた。
「未確認情報だが、この子供たちはヨーゼフ・メンゲレ医師(人体実験をした有名なナチスの医学者)に誘拐された子供たちだ。
メンゲレはソ連のスターリンと取引をし、ソ連で優生学の研究を続けられる代わりに、グロテスクな飛行士を作り出した。」
メンゲレは、ヒトラーの下で、ユダヤ人やロマ人の子供や身体障害者に人体実験を行った人物だ。
スターリンはメンゲレとの約束を果たさず、メンゲレはソ連に住むことなく偽名で4年間ドイツに住み、その後は南米に逃亡した。
「スターリンはグロテスクな子供たちを乗せた飛行機をニューメキシコに着陸させて、アメリカ国民をパニックに陥れようとした」と、5人のエンジニアは説明された。
私は、この証言をするEG&Gの元エンジニアに問うた。
「なぜトルーマン大統領は、ロズウェル事件の真相を世界に公表しなかったのか」と。
彼は言った。
「我々アメリカも、同じ事をしていたからだ。
身体障害児や囚人を使って、医学実験をしていたんだ。」
「いったい誰の命令で?」
「仕切っていたのは原子力委員会だ。それからヴァネヴァー・ブッシュ。その結果、大勢の人間が殺された。」
つまり、こういう事だ。
1951年にエリア51が出来た時から、そこではEG&Gがナチスと同じく人体実験のプロジェクトを行っていた。
「それは、いつ終わったのですか?」
「少なくとも1980年代にはまだ続いていた」
1993年にアイリーン・ウェルサム記者が、原子力委員会がボストン郊外のフェルナルド州立学校の知的障害児や孤児に、プルトニウムの投与実験を行っていた事を報じた。
アイリーンは、アルバカーキ・トリビューン紙に45ページの記事を書き、原子力委員会が1940年代から行っていた「人体にプルトニウムを注射する実験」を暴露した。
この実験は、被験者に告知せず行っていた。
この報道の後、クリントン大統領は「放射線被曝実験の諮問委員会」を設置し、原子力委員会について調査をした。
だが、EG&Gの元エンジニアは言う。
「クリントン大統領にS-4の施設は知らされなかった」
放射線被曝実験の諮問委員会は、多くの真実を公開できたが、エリア51で行われたプロジェクトに関してはEG&Gと原子力委員会の記録閲覧を拒否された。
「クリントン大統領には、情報適格性がない」というのが理由だった。
ロズウェル事件のあった当時、スターリンは(ソ連は)まだ原爆の開発に成功してなかった。
アメリカの行ったクロスロード作戦(大規模な原爆実験)は、ソ連に危機感を与えていたはずだ。
スターリンがロズウェルに落とした円盤は、ドイツ人から盗んだホバー・アンド・フライの飛行技術と、ステルス技術を持っていた。
EG&Gの元エンジニアは、「あれはスターリンからトルーマンへの威嚇射撃だった」と言う。
CIAから初めてNRO(国家偵察局)に配属されたジーン・ポティートは言う。
「ステルス技術を発明したのは、ヒトラーだった。
そのステルス爆撃機はホルテンHo229と呼ばれていた。
その機体は、レーダー吸収塗料と接着剤を混入した炭素で覆われていた。」
ホルテンHo229は、ホルテン兄弟が開発したものだ。
この兄弟は、1945年4月7日にゲッティンゲンの工房で米軍に捕まり、ロンドンに連行されてロケット科学者のセオドア・フォン・カルマンの尋問を受けた。
その後はドイツに送還されたが、ライマール・ホルテンはアルゼンチンに亡命、ヴァルター・ホルテンはドイツで静かに暮らした。
航空歴史家のデヴィッド・ミラは、1980年代にホルテン兄弟を見つけ出し、インタビューを録った。
このテープはスミソニアン航空宇宙博物館に保管されている。
デヴィッド・ミラは語る。
「インタビューの前にライマールは、ヒトラーや第三帝国の話はしない、CIAについても話さない、という条件を出した。
その話題に触れてはいけなかった。」
第二次大戦が終わると、アメリカ政府はナチスの科学者たちを雇って保護した。
アメリカ政府のナチ犯罪者の利用に関する6億ページ分の情報は、2011年現在も機密扱いのままである。
エリア51に関する多くの書類は、その中にある。
こうした機密は、これ以上隠しておくべきではない。
再びEG&Gの元エンジニアの証言に戻る。
彼はロズウェル円盤の研究について、こう語る。
「1951年にエリア51で機体の研究を始めたが、EG&Gのエンジニアの1人が動力装置を調べるため、EMF(電磁周波数)に関してラスヴェガスにあるEG&Gのビルで丸1年研究した。
そして分かったんだ。
だから私たちには、ホバー・アンド・フライの技術があるんだよ。」
ロズウェル事件の時、ロズウェル陸軍飛行場のウォルター・ホート広報官は、プレスリリースをラジオ局に届けている。
彼は2005年12月に亡くなったが、死後に開封できる宣誓供述書を残していた。
その供述書には、「2番目のプレスリリースは事件の隠蔽のための作り話だったこと」「円盤の他に遺体を回収したこと」「遺体は異様に大きな頭をした子供サイズだったこと」が述べられている。
そしてホートは、「私が見たのは、宇宙からやって来た船と乗組員だったと確信している」と述べている。
一方、EG&Gの元エンジニアは、ソ連がドイツの技術を使って開発したと説明した。
だが、その無人機を発射した大型飛行機について、「それはアラスカ上空を通ってきた」と言うだけだ。
(※無人機とはUFOのこと。元エンジニアは人体実験された子供が乗っていたと語り、操縦者はいないとしている)
EG&Gの元エンジニアは、「S-4施設は数十年にわたって存在していた」と言い、ボブ・ラザーがS-4施設に入ったと語る事は変ではない。
それにしてもヴァネヴァー・ブッシュは、どうやってあれほどの権力を手に入れたのだろう?
彼はリンドン・ジョンソン大統領からは科学栄誉賞、イギリス女王からはナイトの爵位を授けられている。
ヴァネヴァー・ブッシュは、原爆開発計画に君臨し、マンハッタン計画を管理したOSR(科学研究開発局)の局長として、生物兵器ルイサイトとマスタード・ガスの人体実験の責任者でもあった。
ヴァネヴァーは、医学研究委員会も管理し、そこでも人体実験を行った。
クリントン大統領の諮問委員会が明らかにしたとおり、人体実験にはディクソン知的障害者施設とニュージャージー州立知的障害者施設の入居者が使われた。
そのいくつかは1973年まで続けられた。
原子力委員会の記録では、マンハッタン計画は「S-1」と当初は呼ばれていた。
S-1とS-4の間に、あと2つの極秘プロジェクトがあったのだろうか?
1922年にヴァネヴァー・ブッシュは、「レイセオン」という会社を設立した。
この会社は、ネヴァダ核実験場、ネリス試験訓練場、エリア51で絶大な影響力を持ってきた。
現在は世界最大手の誘導ミサイル・メーカーに成長している。
防空レーダー技術の先導者でもある。
EG&Gは、20世紀末にカーライル・グループに買収され、2002年に巨大企業「URS」に売却された。
ネリス訓練試験場とエリア51では、レイセオンとEG&Gのジョイント・ベンチャー「JT3」が活動している。
(2020年7月29日に作成)