(『ペンタゴンの陰謀』フィリップ・J・コーソー著から抜粋)
ロズウェルのあるニューメキシコ州の砂漠では、夏は雨期となり、大雨と雷が発生する。
ロズウェル事件の時も、雷雨だった。
1947年7月1日に、ロズウェル郊外にあるアメリカ陸軍航空基地・第509大隊のレ-ダーは、夜通し不審なブリップ(電子音)を出していた。
近隣のホワイトサンズ基地も同様だった。
ホワイトサンズ基地は、陸軍の誘導ミサイル基地であり、(占領した)ドイツで接収してきたV2ロケットの試射を行った所である。
さらにアラモゴードの核実験施設でも、レーダーは同様の不審物体を捉えていた。
余談だが、ロズウェル基地は、1945年に広島へ原爆を投下する飛行機が飛び立った所である。
レーダーのスクリーンに、光点がばらばらと現れ、考えられないスピードでレーダーの隅へと消えていく。
その繰り返しを見て、誰もが首をひねった。
機器の故障かと思われたので、点検したが、正常に作動していた。
光点は、アメリカ軍が極秘とする核施設やミサイル試射場の上空を、我が物顔で往来した。
これを受けて、ワシントンの陸軍情報部は、部員をニューメキシコ州の第509大隊基地へと送り込んだ。
レーダーの異常は翌2日も続いて、ロズウェルの住民はものすごいスピードで飛ぶ物体を目撃した。
その不審な物体は、軍の極秘施設の上空に現れ、しばらく留まった後に猛スピードで去っていた。
基地の司令官には、この行動は敵の偵察行為に映った。
将校たちはソ連の偵察だと考えた。
1947年7月4日は、国を挙げて独立記念日を祝っていたが、ロズウェル周辺ではまたも不審な物体が現れた。
雷雨の中、ロズウェル基地の上空ではすさまじい雷鳴がとどろき、レーダー・スクリーン上でどくどくと脈打つような動きをしていた物体は、弧を描いてスクリーンの左下に移動し、まばゆい光を発してから消えた。
スクリーンを見ていた者たちは、「物体は墜落した」と考えた。
アメリカ軍は即座に行動に出て、墜落したものを回収する事にした。
ロズウェル基地の司令官であるウィリアム・ブランチャード大佐は、回収作戦を命じて、トラックやレッカー車が集められた。
だが軍だけでなく、ロズウェルの住民も墜落を目撃していて、翌5日の午前0時を回るとシャベス郡の保安官ウィルコックスに電話がかかってきた。
ウィルコックスは消防署に通報し、出動を要請した。
そして午前4時ごろには、ポンプ車やパトカーが墜落現場に向かっていた。
彼らは知る由もなかったが、軍の回収チームも現場に向かっていたのである。
墜落現場には軍が先に着いたが、辺りはまだ暗くて、投光照明を設置することにした。
ロズウェル基地に勤務するスティーブ・アーノルド下士官も車で到着したが、見たところ墜落機はほとんど損傷がない様だった。
周りに破片が散乱していたが、機体は原型をとどめていた。
その機体は、丸みを帯びたデルタ形をしており、前部を涸れ谷に食い込ませていた。
アーノルドの見たところ、墜落というよりも不時着で、機体は縦に亀裂が走っているとはいえ、ほぼ無傷だった。
防護服を着た者が、現場の放射能をチェックしたが、検出されなかった。
アーノルドが機体に近づくと、小さな灰色の遺体がおそらく4体、いずれも身長は140cmぐらいだったが、地面に転がっていた。
5体目は、機体の亀裂のそばに横たわっていた。
「あれは人間か?」との声が囁かれる中、衛生兵たちがあたふたとストレッチャーを運んできた。
アーノルドが亀裂から内部をのぞき込み、機体の内部から外を眺めると、まだ外は暗いのに、すでに日が昇ったように明るく見えた。
「おい、こいつはまだ生きているぞ」と、誰かが叫んだ。
アーノルドが見ると、遺体だと思っていた1体が、地面でもがいていた。
そばに走っていくと、その生物は身体をひくつかせて、泣き声を上げた。
息が苦しいのか、異様に大きな頭を左右に振っている。
その時、兵士の1人が「そこのお前、動くな」とわめいた。
見ると、生物の1体が立ち上がり、必死で丘を登っていこうとしている。
砂に足をとられながら、足を踏ん張って登っていた。
兵士がいっせいに銃を撃とうとし、将校の1人が「だめだ!」と叫んだが、手遅れだった。
小さな身体が弾丸を浴びて宙に舞い、倒れて動かなくなった。
「馬鹿めが」と将校は吐き捨てるように言い、アーノルドに「あの民間人を立ち入らせないようにしろ」と、やって来るパトカーと消防車を指差した。
アーノルドは指示通りに行動し、兵士たちは現場を封鎖しにかかった。
将校がまたアーノルドを呼び、言った。
「何もかもトラックに積め。
それから、あの正体不明の乗り物を、レッカーで運び出すんだ。
ここはチリひとつ無い状態にしろ。」
現場に近づいてくるパトカーと消防車は、軍の憲兵隊が対処することになり、憲兵隊員たちは車たちにライフルを構えた。
ロズウェルの消防士の1人であるダン・ドワイヤーは、ポンプ車で墜落現場に到着した。
そこではクレーンが何かの物体を吊り上げており、周囲を兵士がぐるりと囲んでいた。
すでに退却を始めた軍用トラックを避けるため、ポンプ車を道の片側に寄せた。
ドワイヤーの見たところ、墜落した機体はほとんど無傷で、欠落した部分もなかった。
兵士たちは機体をレッカー車に載せると、深緑色の防水シートをかけてすっぽりと覆った。
1人の大尉がドワイヤーたちに近づいてきたが、大勢の憲兵を従えていた。
大尉は「君たちは戻ってよろしい。ここは軍が管轄する」と言った。
警官の1人が、「負傷者はどうします?」と問い返した。
大尉は「負傷者はいない」と言ったが、ドワイヤーは小さな遺体がストレッチャーに載せられてトラックに運び込まれるのを目にしており、警官も目撃していた。
1体はストレッチャーにくくりつけられていたが、もぞもぞと動いていた。
だからドワイヤーは、「負傷者はどうします?」と突っ込んで訊いた。
大尉は言った。
「君たちは今夜、ここで何も見なかった。
後で基地の者が話をしに行く。
この件は、純然たる軍事問題だ。」
ダン・ドワイヤーは、混乱を極める現場を利用して、気付かれないようにストレッチャーに近づき、くくりつけられた生物をしげしげとのぞき込んだ。
それは人間の子供の大きさで、風船型の頭をしており、両目は黒くて大きかった。
鼻と口はとても小さく、耳は顔の両側がへこんでいるにすぎない。
皮膚は灰色がかった茶色で、髪は生えていなかった。
罠に捕らわれた動物のごとく、絶望的な眼差しでこちらを見つめてきた。
瀕死の状態なのが見てとれた。
兵士にとがめられたドワイヤーは、その場を立ち去った。
現場では、袋を手に這いつくばって物を拾う兵士や、金属探知機をかざして行進する兵士もいた。
彼らは機体の破片を探していた。
ドワイヤーは光るものを拾い上げたが、それは鈍い灰色の金属繊維のようなものだった。
ポケットに入れて、持ち帰ることにした。
ドワイヤーの娘は、後になってそれをテレビ番組で見せて、父から聞いたロズウェル事件を語った。
下請け配管工のロイ・ダンツァーは、ロズウェル事件の日にアメリカ軍基地で作業していた。
夜中に、トラックが大挙して出掛けたので、「何かあったな」と思ったが、やがてメインゲートのほうが騒がしくなった。
その時ダンツァーは、基地内の病院の入口で休憩していたが、兵士の群れが病院になだれ込んできた。
兵士たちは押し黙ったまま一列になってダンツァーも目の前を通り過ぎたが、ダンツァーは運ばれていくストレッチャーにくくりつけられた生物を見た。
それは人間ではなく、スイカ大の頭と、わずかな部分を占める顔をしていた。
すがる様な眼差しと、苦痛に満ちた表情をしており、感情があるのが分かった。
その生物は病院内に運ばれていったが、次の瞬間ダンツァーは数名の憲兵によって病院の鉄門に叩きつけられた。
大尉と思われる将校がやって来て、ダンツァーの鼻先に指を突きつけて、「お前は何者だ?」と怒鳴った。
その大尉はすさまじい形相をしており、一瞬ダンツァーは「もう二度と家族には会えないかもしれない」と思った。
それほどの恐怖を覚えた。
この時、1人の少佐がやってきて、「この男なら知っている。基地で働いている男だから大丈夫だ」と口をはさんだ。
大尉はやや落ち着きを取り戻したが、ダンツァーにこう言った。
「お前は何も見なかった。分かったな。
この事は誰にも言うな。家族にもだ。
しゃべったら、お前らはこの世から消え失せる。」
少佐は大尉を制して、「ここで目にした事は全て忘れるように。さっさと行くんだ」と言った。
ダンツァーはすぐに自分の車に乗って走り去った。
その後のことは、今や語り草になっている。
まず第509大隊の司令官であるウィリアム・ブランチャード大佐が、円盤墜落の公表を許可したので、そのニュースは全米を駆け巡った。
ところが円盤がテキサス州のフォートブリス基地にある第8陸軍航空司令部に輸送されると、第8陸軍航空司令部のロジャー・レイミー准将が、ジェシー・マーセル少佐にマスコミの前でそのニュースを撤回するよう命じた。
空飛ぶ円盤ではなく、気象観測用の気球だったと嘘をつくよう命じたのだ。
マーセルにとっては痛恨の出来事で、彼はそれから数十年後の死ぬ直前に、「ロズウェルでは宇宙船を回収した」と告白した。
ロズウェル事件の後、陸軍情報部やCIC(米軍の防諜や謀略を行う部隊)は、事件のもみ消しに躍起になった。
ロズウェルの住民たちに脅迫や暴力をして、殺害事件も最低1件はあったという。
住民たちは沈黙を強いられた。
軍から脅しをうけた者には、ダン・ドワイヤーの娘のサリーもいた。
サリーはまだ子供だったが、陸軍将校たちが家に来て、「お父さんの話したことは忘れなさい、でないと家族そろって砂漠で行方不明になるよ」と脅された。
将校たちは警棒で手の平を叩きつつ、何度も言い含めた。
目撃者たちの口封じを命じたのは、ロジャー・レイミー准将だった。
ロズウェルの第509大隊に派遣されていた防諜隊員に対し、「どんな手を使ってでも、民間人や軍人の口封じをせよ」と命じたのだ。
それで防諜隊員は目撃者を訪れて、脅しと札束で目撃証言を撤回するように迫った。
目撃者の1人だった牧場主のマック・ブレーゼルは、2日間も行方不明になり、新品の軽トラックで町に戻ると、「自分は何も見なかった」と証言を変えた。
墜落した円盤は、テキサス州のフォートブリスにある第8陸軍航空司令部に輸送されて、手短に分析された後、一部はオハイオ州のライト航空基地に運ばれた。
異星人の遺体は、トラックに積まれてカンザス州のフォートライリー陸軍基地を経由しつつ、ウォルターリード陸軍病院に運ばれて検死・解剖された。
ロズウェルで入手した円盤が、ライトフィールド空軍基地の中枢であるAMC(航空資材本部)に到着すると、そこの司令官であるネイサン・トワイニング中将の管轄下に入った。
(※ライト航空基地とライトフィールド空軍基地は、同一もしくは隣接していた)
米軍・司令部で、いち早くロズウェル事件を知らされたのは、トワイニングだった。
彼は後になって、UFO問題についてアイゼンハワー大統領と何度も極秘会談を行った。
また彼は、アイゼンハワー政権のロバート・カトラー国家安全保障担当・大統領補佐官とも繋がりがあった。
1947年7月初めにロズウェル事件が起きると、ネイサン・トワイニングは少なくとも7月10日までニューメキシコ州アラモゴードの陸軍航空基地に滞在した。
アラモゴードは、1940~50年代に核兵器の実験場があり、AMCの出先機関もあって、ロケット科学者のヴェルナー・フォン・ブラウンらが常駐していた。
すぐ近くにはホワイトサンズ・ミサイル試射場があった。
トワイニングはアラモゴードで、科学者たちとロズウェルで入手したものについて協議した。
そして、ハリー・トルーマン大統領と諮問委員会にあてた報告書をまとめた。
1947年9月23日付でネイサン・トワイニングが、ワシントンの陸軍航空司令部に送った書簡がある。
そこには、次の記述がある。
「空飛ぶ円盤は、錯覚や空想ではない」
「円盤の大きさは、人間の造った航空機に相当する。
円形または楕円形をしていて、底部は平らで、上部はドーム状である。
その表面は金属製、または光を反射する。」
「航跡がない。通常は音を伴わない。ただし轟音が認められた例もある。」
「アメリカ軍の飛行機に目撃や確認をされると、回避行動をとるため、手動または自動、あるいは遠隔操作されている」
「3機から9機が整然と編隊を組んでいたとの報告もある」
「水平飛行の速度は、300ノット(時速550キロ)を超えると見られる」
「現在のアメリカの知識をもってすれば、この飛行機は製造が可能である。開発するならば、莫大な時間と費用がかかるので、既存のプロジェクトとは別立てにすべきである」
「本件の研究に対して、優先権とコードネームを与えることを勧告する。
研究した資料は、軍や原子力委員会、JRDB(総合研究開発審議会)、空軍科学顧問団、NACA(航空諮問委員会)、ランド研究所、NEPA(航空機推進用の核エネルギー)プロジェクト、に提供して助言を求めるべきである」
ネイサン・トワイニングは、上の書簡から3日後の1947年9月26日に、ロズウェル事件の報告書をトルーマン大統領と諮問委員会に提出した。
諮問委員会のメンバーは、次のとおりである。
①ロスコー・ヒレンケッターCIA長官
②ヴァネヴァー・ブッシュ(共同研究開発委員会の委員長)
③ジェイムズ・フォレスタル国防長官
④ホイト・ヴァンデンバーグ(元CIA長官および空軍参謀長)
⑤デトレフ・ブロンク(国立研究評議会の会長で生物学者)
⑥ジェローム・ハンセイカー(航空技師で国立航空学顧問委員会・会長)
⑦シドニー・サウアズ(国家安全保障会議の理事)
⑧ゴードン・グレイ(陸軍書記官、CIA心理学研究委員会・会長)
⑨ドナルド・メンゼル(ハーバード大学の天文学者で、海軍情報部の暗号専門家)
⑩ロバート・モンタギュー(フォートブリスの司令官で、ホワイトサンズ・ミサイル試射場でも指揮にあたった)
⑪ロイド・バークナー(共同研究開発委員会の会員)
⑫ネイサン・トワイニング(陸軍航空隊・航空資材本部の司令官)
この諮問委員会が、「マジェスティック12」と呼ばれる作戦グループの土台となった。
(2022年10月12&14日に作成)