日本の原発史⑤
野田内閣は世論の圧力を受けて、
2030年代に原発をゼロにすると決める

(以下は『毎日新聞 2013年4月8日』から抜粋)

菅首相の肝いりで2011年6月につくられた、脱原発を目指す「エネルギー環境会議」は、その議論は全てがネット上で中継されて、視聴者のコメントも受け付けた。

菅内閣から野田内閣に代わる頃、経産省のエネルギー調査会の24委員のうち、7人に脱原発派が起用された。

その一方で野田内閣は、2012年6月に大飯原発を再稼動させた。

大飯原発の再稼動が決まった頃から、脱原発を求めるデモが大規模化した。

2012年7~8月に、「エネルギー環境会議」は過去に例のない「討論型の世論調査」を実施した。

その結果、「2030年代に原発ゼロ」に支持が集まった。

これを受けて、野田内閣は2012年9月に、「2030年代に原発ゼロが可能となるように、あらゆる策を採る」とする『革新的エネルギー・環境戦略』を決定した。

青森県、アメリカ政府、経済界から圧力を受けたことで、核燃料サイクルの廃止にまでは踏み込めなかった。

(以下は『毎日新聞 2012年7月5日』から抜粋)

🔵大飯原発の再稼働

2011年9月1日に、野田政権が発足した。

経産相には鉢呂吉雄(はちろよしお)が任命されたが、不適切な発言ですぐに辞任となった。

野田首相は、後任に枝野幸男を指名した。

枝野は民主党内でも脱原発派で、経産相になる前、「菅政権の脱原発依存の方針を私は踏襲するが、それでもいいか」と念押しした。

野田の答えは、「それで行ってくれ」だった。

菅首相が退陣して野田首相に代わった頃、内閣官房・国家戦略室の脱原発派は任期切れで相次いで去り、経産省の官僚が主導権を握った。

経産省は「電力不足になる」と煽っていたが、国民は「電力会社は供給力を過小申告し、政府はそれを鵜呑みにしている」と疑っていた。

国家戦略室の幹部は言う。
「新たな電力需給見通しは、脱原発派に批判の余地を与えないぐらいの理論武装と手順が必要だと考えた」

関西電力は2012月5月10日に、大飯(おおい)原発を再稼働すれば計画停電や消費制限令を何とか避けられる、というデータを発表した。

国家戦略室は、このデータを「参考資料」として公表。

関電の森詳介(もりしょうすけ)・会長らは、毎週のように上京して永田町の政治家に再稼働を陳情した。その対象者には、野党(自民党)の安倍晋三と麻生太郎もいた。

関電の1人は漏らす。
「永田町を回ったのは、大飯のためだけじゃない。後には高浜原発なども控えている」

野田政権において、福井県にある大飯原発の再稼働を進めた1人が、民主党の仙谷由人(せんごくよしと)・政調会長代行だ。

野田政権の閣僚会合メンバーの1人は、「仙谷、枝野、細野らで話をつけていた」と証言する。

経産省の原子力安全・保安院の出した、大飯原発再稼働に向けた安全基準が、閣僚会合で了承されたのは、野田首相の指示からわずか3日後の2012月4月6日だった。

この安全基準は、急ごしらえの印象を与え、世論の強い批判にさらされた。

だが4月13日の閣僚会合で、「大飯原発の再稼働は妥当」との決定が下された。

この日、橋下徹・大阪市長は「政治家が原発の安全なんて確認できるわけがない。こんな再稼働は絶対に許しちゃいけない」と発言した。

野田首相は「脱原発依存」の方針を守るため、福井県が求める「原発は基幹電源」という文言に難色を示した。

2012年4月13日に民主党政権は大飯原発の再稼働を決めたが、政権内で脱原発派の枝野・経産相は、経産省・資源エネルギー庁の今井尚哉(いまいたかや)・次長に「基幹電源という言葉は絶対に使わない」と宣言した。

枝野は電力需要を考えて大飯原発の再稼働が決まった時、「大飯原発を持つ関西電力の筆頭株主は、大阪市で橋下徹・市長だ。そっちを説得しなくちゃだめだ」と、経産省の事務方に指示した。

だが橋下が率いる「大阪維新の会」は、脱原発を掲げていて、この説得は失敗に終わった。

福井県側(福井県知事の西川一誠(にしかわかずみ))は、脱原発派の枝野との会談を拒んだ。

福井県から交渉を断わられた枝野に代わって、細野豪志(ほそのごうし)・原発事故相が新たな交渉役となった。

細野は橋下との交渉では、間に大前研一を入れた。
そして12年5月31日に、橋下は「僕の負けです。再稼働を容認する」と語った。

だが西川・福井県知事は、「総理のメッセージがない」として再稼働を認めなかった。

2012年6月7日の午後。
野田首相らは、西川・福井県知事の要求に応じるかの最終判断をしていた。

細野・原発事故相は、「首相が福井県側と会見すべき」と強く進言した。

野田首相は6月8日に記者会見して、「原発は重要な電源」と表明した。

結局6月16日に、野田首相は官邸で西川知事に頭を下げた。西川は再稼働に同意することを決めた。

大飯原発3号機は7月1日に再稼働した。
原発の再稼働は、福島原発の事故後で初めてだった。

(以下は『毎日新聞 2012年8月21日』から抜粋)

日本政府は「2030年代前半に原発ゼロ」を目標とする方向で検討に入った。

この背景には、原発ゼロを求める国民の声の高まりがある。

2012年7月の大手電力10社の電力販売量は、前年同月比で6.3%減少し、684.8億キロワット時だった。

このうち家庭向けの販売量は12.4%減少の194億キロワット時だったが、これは過去最大の減少率である。

(以下は『毎日新聞 2012年8月22日』から抜粋)

先進国では高齢になった原発が次々と寿命を迎える。
これから「本格的な廃炉時代」に入る。

いま日本国内で廃炉工程にあるのは、東海原発のみだ。

東海原発は1998年に運転を終え、2001年に廃炉作業が始まった。
計画では2020年に完了する事になっているが、放射性廃棄物の処分先がいっこうに決まらない。

原発は、炉心部の廃棄物は、地中に埋めて300~400年間管理することになっている。

廃炉は電力会社の責任で行う事になっているが、長期的に存在するか分からない民間企業に任せるのでは、地域住民も不安で容認できないだろう。

廃棄物処分場については、国が責任を持つのが筋だ。


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